直球@「語感でアイロニー」#521

直球を投げれない奴に変化球の効力はなし。

と、思う。

少なくとも、自分の直球の速度を認識してから、変化球を多投して生きていくべきだと思う。

かれこれ十数年前に俺の師匠である作演出の方の俳優仲間の柄本さんと佐野さんと飲みに連れてって頂いた時に、若い連中はなんで変化球ばかりを投げるんだ!と、キレてたんだけど。あの方たちのボソボソしゃべる演技は実際絶品であろうことは誰でも周知であるが、あの人たちもまた若い時に死ぬほど喉からして、死ぬほど怒られて、死ぬほど体を使って、ようやくああいう演技にたどり着いてるわけで。上っ面だけ真似しやがって!と、かなりのキレ具合で。近くにいた俺の具合が悪くなりそうだったけど(笑)

その時に、お前は残るだろうという言葉を頂いた時は本当に嬉しかったな。それは、変化球投げれるまでは直球勝負を繰り返してたからもらえた言葉だったのかもしれない。

大野君もそんなことを俺にボソっと言ってたな。あの人も気を使える人だから、表面上は穏やかに振る舞ってるけど、根が熱いから(笑)

笑いをナメすぎだよ、俳優は!

と。笑いを取ることが彼の直球勝負の場所であったわけで。真面目にやれば笑いを取れるのに笑いを狙いに行こうとしすぎてるって。

殺陣も一緒でね。刀をグルグル回せる技術がカッコいいと勘違いしちゃうんだけど。あくまで、斬り合いのシーンを創るのが主であり。そういう肉体が出来あがってる人間がようやく刀をグルグル回せるから虚構に殉じれるわけでね

年齢は関係ないと思うんだよ。自分ひとりでは映画だろうが舞台だろうが創れない。スタッフさんにありがとう一つ言えない若者が多すぎないかな。ましてや、物壊したら、即謝るのが普通のはずで。でも、謝りにくるから、こちらも気をつけろよ。と、言って頭下げて手配するわけで。謝る事はそんなに悪い事かね。誠意ってなんだろうと思う。出来ない人間ほど理屈振り回したり、複雑さを気どる。いらねぇ、プライドだよ。

俳優という商売は究極言えば、人間を知ることであり、それがゆえに厳しくも優しくもなれるわけで。愛のない人間が表現なんかしちゃいけませんよ。

真面目でいいじゃん、自分の選んだ道なんだから。不真面目やんなら、とことん不真面目やれよ。それはもう真面目ってことだから。

せみ@「語感でアイロニー」#520

公演の疲れも癒えぬまま、連日養成所の殺陣指導。恵比寿な日々の琥太郎です。

本日、余りの日差しに立ちくらみしてしゃがみこんでしまいました。

稽古期間でワープしてたせいか、養成所帰りに日の落ち方が早まってる事に気づき、夜になると昼間の暑さとは裏腹に秋系の虫の音も聞こえてきます。

そんな夜道で突然セミが落下してきました。

夜道のセミは危険です。恐怖っす。ギギっと音を立て、地べたで暴れまわってます。

恐怖とはこれまた裏腹になんだか涙が出てきました。地下生活の長いセミが地上に出る一週間という短い期間をあらん限りの声で鳴いている。

木に止まる力も羽を動かす力が無くなって地べたに落ちても、その最後の瞬間までセミであり続ける姿に。そして、もうじき秋が来る。桜も蝉も一緒。形じゃないんだ。究極のシンプルさに惹かれるんだな。

俺は、きっとそんなもんに感動し続けて、やっぱり俺もそうありたい願い、様々な思いをしても板の上で生き続けたいんだろう。

退くな!戦え!

ヨンパチプロデュース公演終了@「語感でアイロニー」#519

ヨンパチプロデュース公演無事終了致しました。

ご来場して頂いたお客様ありがとうございました。

出演して頂いた役者陣とスタッフさんもありがとうございました。改めて感謝致します。

俺も市村も、反省と進化させながらもっともっと力をつけて、色々なチャレンジをしていきたいと思っております。

本当に本当にありがとうございました。

まだ、制作事は終わりではありません。

走りっぱなしで駆け抜けてきたので、終わったら少し休みたいです。

ゆっくり温泉でも行きたいな。

芝居の神様@「語感でアイロニー」#518

演者、スタッフが一丸となっていい作品が作れますように。

演者など所詮、生き様しか出ない。出ないなら大恥かくぐらいの覚悟をしろ。でも、必死で板の上で生き抜く覚悟があるなら、芝居の神様はそいつを輝かしてくれるだろう。

ただただ、純粋に芝居と取っ組み合いたい。

日常@「語感でアイロニー」#517

芝居に没頭すると日常生活が訳わからなくなる。特に物忘れ。いつも家を早めに出るのは戻る率が高いからである。

いつものことながら、うんこをしようと思ったら便座を上げっぱなしで座ってしまい、便器に腰から落ちて

俺はヤドカリかっ!

と、呟いてシャワーを浴びたり。洗顔フォームで歯磨きしてしまい。泡立たなすぎて、

昭和な歯磨き粉かっ!

と、気持ち悪くなったり。

もはや、ボケ老人の如き有様である。

昨日初めて板の上に立ちました。ぶっちゃけ、足ガクガクしてました(笑)稽古場がギュッと凝縮され20数名の視線が一気に俺の方に浴びせられたからね。演出やりながら出るという恐怖。でも、それを跳ね返して板の上で目いっぱい生きたい。思いっきり関わっていこう。

臆病と強さは相反しないと思う。

板の上@「語感でアイロニー」#516

板の上には魔物がいる。

と、思う。ましてや、ヨンパチの舞台。肉体と声で空間を立体化していく。なんの誤魔化しもきかない。片手間では無理。

それを超えた時、きっとどの瞬間よりもいい顔になるはず。

演出なんて嫌われてなんぼ。覚悟はとうの昔に出来ている。友達作りに稽古場には向かわない。いい作品を作りたい。それだけ。

シンプルに。よりシンプルに。

ベニヤ@「語感でアイロニー」#515

昨日今日と稽古はなく、小道具を作ってくださる伊藤さんの指揮の元、小道具作り。

ベニヤを切る作業をする。仕事などしているにも関わらず、疲れているであろうに、嫌な顔一つせず手伝ってくれた鳥谷部君、元気君、石山君、星原さん、ありがとうございました。本当に助かりました。

舞台作りの良さ。皆で一つの目標に向かって邁進する。

稽古も白熱してきました。技術の上をいくライブ。板の上を生きると言う事。人と本気で関わるという事。

こうやってこの時期になんの偶然か集まった23人。これもまた宿縁。世代を超えて伝えていきたいこともたくさんあって。

決めの一つのセリフ。本気でそう思えるようにしたい。ヨンパチの持つライブ感は虚構と今の感覚がリンクしていくようになることであり。

結束は固い!

たてたて@「語感でアイロニー」#514

お久しブルース。ヨンパチブルースの琥太郎です。

元気に生きてます。昨日は稽古終了後、多くの出演者と飲み会。なぜかのんべぇが残ってしまい。おっさんと呼ばれても可笑しくない圭蔵、牧野、石山君と朝までになる。この連中は芝居の取り組み方も考え方もアグレッシブで好きだ。しかし、石山君の異様に太い二の腕は殺陣の稽古で更に太くなってんじゃないかと思うほどだ。

本日、殺陣教室。女性が一人見学に来てくれました。ありがとうございます。殺陣教室受講生で出演組は欠席でしたが、星原さんが参加。根性あります。明日より稽古参加の大野君も参加。女性陣の多い日でしたが、いい稽古が出来ました。

ここ数日は、稽古後、殺陣の振付で一時間ぐらい睡眠取って思案をしておりました。23名を動かし尚且つキャラクターやら本人の経験により配置をしたり、早替えの人間も逆算してどこにこの人はいるのかとかで半端なく時間がかかります。実に20人分の振付を用意するわけで。台本書くぐらいの苦しさであります。体キツイであります。まだ、一回も稽古中俳優として板の上に立っておらず、不安であります。

台本を書いたり演出をしたり振付をしたり劇団を作って色々な思いをしたことある俳優さんが俺は好きだったりする。創り手の思いやら本質を理解して臨んでくれるから。セリフ一言一言や振付の一手一手を大事にしてくれます。

これから、また振付思案。本日はラストシーン。

頑張れ、俺!

いよいよ@「語感でアイロニー」#513

昨日は8月に出て頂くTAKAさんと長谷川さんのお芝居を観に行く。永井愛の作品。うん、面白い。セットが本格的に昭和でした。ここの劇団さんは普通にしゃべれるので観てるのがすごく楽です。

夕方より殺陣教室指導。8月出演組にはいつもの殺陣教室なんだけど、本番に向けて斬られる時に声を出させる。斬りに行くというシチュエーションに合わせた声。みんな出るんだよね。まだ若いんだから失敗なんか恐れないで全力でやって欲しい。全力を出した方が自分の課題が見えてくるんだよね。ダメだしされてる所がモロに出るから。教室で出来ても現場で出来なきゃ意味はないし。毎週やる事なんだけど、常に現場を想定してるしてないじゃ一年経つとすごい開きになっちゃうから。
通われてる方もそのパワーの乗って迫力ある殺陣になってました。皆さん、いい目つきになってました。目を作って芝居するな!と、よく言うのだが目で芝居をすると体中に力入って不自由になる。声を出して体中からエネルギー出すと自然と斬り合いのシーンに近づく目つきになっていくもんです。

声を出すことはエネルギーがいるし日常からはかけ離れた声量がいるから恥ずかしいかもしんないけど、意外と最初に覚悟決めて出してみるとすっきりするし、本当の意味もわかってくるものです。嘘を真に。虚構の世界を現実に。ただし、上半身の力は抜いて(笑)

俺自身もやるときは全力でやることに決めてます。余力残して格好付けてこなすほどのレベルじゃない。謙虚でいるということは全力でやることなんじゃないかな。全力で当たれば課題も見つかってくるからね。

明日から、稽古が再開。怒涛の3週間になるだろう。やらなきゃいけないこといっぱいあるし。遠足前に持ってく物チェックしてるぐらいソワソワしていますが。

全力で走り抜けます。

身体感覚@「語感でアイロニー」#512

セットの図面が届いたので、入りハケの計算をする。こんだけ出演者がいると、それだけでも大変である。衣装早替えもあるし。

ちなみに台本とか演出とか考える時は基本喫茶店やファミレスでやるタイプな琥太郎なのです。

家だと興味あるものに逃げていく習性があり。布団にダイブして脳を休めようとして気づいたら一人ドリフのような体勢で寝ていて朝になり自己嫌悪の塊になったり、本読んじゃったり、風呂入っちゃったり、行きたくもないのにトイレ行ってたりといい事なしなので。今日はここまでという目標を持って深夜のファミレスで唸ってたりします。

さて、俺はよくスポーツを観る。野球だったりサッカーだったり。とは言え、やりはしない。ファンでもない。実は一流選手の動きを観察していたりする(笑)身体感覚に凄い興味があるし、演技やら殺陣もそこから考えたりするからだ。常に芝居をするときは体の状態をリラックスというか柔らかく使いたいという感覚が強いからかもしんない。どうしても演技メソッドとか気持ちとかで作り込むスタイルに違和感が凄くあるタイプなので。というより、恥ずかしくなってしまう。

で、演技でガチガチになってる人や気持ちを作ってしゃべる人観ると、普段生きてる人間とあまりにも立ち方、存在の仕方がかけ離れてないか?という思いが強い。普段のほうがよっぽど存在感があったりする。そういう人は体のパワーバランスが胸から上。特に肩と顔面に力が入っちゃってんだよね、観てると。それでやった気になっちゃう。気持ちを嘘で固めてくと、胸辺りに比重を置いちゃう。普段、そんな人いない。てか、恐い。恋患いの人だ(笑)声の出し方も顔面から抜けてくようなしゃべり方だから大きい声出してても拡散して届かなかったりする。

俺自身はホースの水撒きのような感覚でしゃべるようにしている。小さい声でもきちんと届く声。水(声)を最大にしても真下にしか落ちない。ところがホースの先を摘まむと水は遠くへ飛ぶでしょ。自由自在に。そういう感覚。イメージを具現化するのは結構苦労するもので。声質があまりよくない自分を知ってるからかもしんないけど。

でもそうやって自分で自分の声を聞けてないと芝居はおかしな方向に行くんだな。日常では、少なからず自分で自分の声を聞きながら、調節しながら他人と接しているのだから。親兄弟、先輩、友人、知り合い、初対面、恋人、それぞれ無意識ながらも声やら体の接し方、距離感を変えてるはずだから。

役づくりとか気持ちがどうのとかより身体感覚を6つぐらいに分けといて、シーンによって、役割によって、相手役によって、コンマ何秒で変えていく感覚の方が俺は強いかな。それで色の差を出していったり共同作業をしたりしていく。あるいは芝居の質で変えていく。

昨日今日、オールスター戦があったけど、やっぱり一流選手は体の使い方が凄いんだよね。ピッチャーにしろバッターにしろ、軸をブラさないでしかも柔らかくゆっくり動いているようで腰から力を指先に一瞬でボールに伝えていく。全く無理がない。例えて言うなら弓を引くような伝え方。体のバネを一点にためて鋭く放つ感じ。殺陣もそういう感覚を模倣しながらここ数年自分の中で取り入れたりしている。受講生とかにも、とにかく力を抜け!というのは、どうしても胸から上が力んじゃうから。観てる人が違和感を感じるという感覚を養ってもらいたいからで。でも、抜いちゃうと今度はゆるゆるになっちゃって斬り合いのシーンとはかけ離れてしまうんだよね。腰から力を出して足先やら背骨を通して刀に伝えていく事は難しいけど。切れ味のある体の使い方や声の出し方。演技もね、ナチュラル芝居というカテゴリーとは俺の言ってることは違うんだけどね。自然演技って、自然を気取った不自然さを感じちゃう。その時点で自然じゃない。これはやはり身体感覚のあるやなしやの問題だと思う。

例えば、蹴り。ほとんどの人は強く蹴ろうとするあまり、蹴る方の足に力を入れてしまう。でもそんな蹴りは表面上の痛さのみで伝わらない。本当に痛い蹴りというのは蹴る方の足には力を入れずに、蹴らない方の足(軸足)に神経を配って回転を与えた方が実は内部まで伝わる蹴りだったりする。
表現も一緒で、ほとんどの俳優さんは、悲しいシーンで悲しさを演じようとしてしまう。でもそれはあざとい演技というか悲しさを表面で演じようとしてるだけで。本当に悲しさを伝えるならばベクトルを間逆にすべきなんだよね。要するに他人に気を使わせまいと気丈に振る舞う方が受け手は悲しさを想像して泣きそうになったりするじゃない。悲しいシーンだから悲しく演じるとそれは受け手の想像力を奪ってしまう。答えを出そうとしすぎて受け手が引いてしまうもんで。笑いのあるコメディも演者はふざけようとしてしまう。コメディを演じようとしてしまう。それは舞台での悪ふざけのように感じてしまうし、そんなんで客は笑わない。真剣にやるから面白いわけだし、わかりあえない物悲しさも想像できるわけで。全てベクトルは逆なんだよね、実は。

なので、俺自身は演技はメソッドより身体感覚で考えるかな。ま、人それぞれだけどね。