36thGIG 箕輪城【群馬県高崎市】@「語感でアイロニー」#1841

■ 別名     -

■ 所在地    群馬県高崎市箕郷町西明町

■ 城郭構造   平山城

■ 天守構造   -

■ 築城主    長野業尚 武田信玄 北条氏邦 井伊直正

■ 主要城主   長野氏 武田氏 織田氏 後北条氏 井伊氏

■ 築城年    永正9年(1512)

■ 廃城年    慶長3年(1598)

■ 遺構     堀 石垣 土塁 曲輪 馬出 井戸

■ 復元整備   門 石碑 説明板

■ 指定文化財  国指定史跡

■ 訪城日時   2019.05.02  

■ 歴史

築城年代は定かではないが永正年間初頭(1505年)頃に長野業尚によって築かれたと云われる。 長野氏の名が史料に出てくるのは永享11年(1439年)の結城合戦で、上杉氏に従った一揆衆の中に長野周防守、長野宮内、長野左馬助の名が見える。 長野氏は関東管領上杉氏に従っていたが上杉氏が次第に勢力を弱め、越後国長尾氏を頼って落ちると長野業政は西上野の中心的な存在となった。西上野侵攻を目指す甲斐の武田信玄であったが、長野業政は西上野の国人衆らと固く守ってこれを許さなかった。 永禄4年(1561年)長野業政が没して長野業盛が家督を継ぐと、武田信玄の西上野侵攻も激しくなり、永禄9年(1566年)ついに箕輪城は落城し、長野業盛は自刃して果てた。 武田氏は城主として内藤昌豊を入れたが、昌豊は天正3年(1575年)長篠の合戦で戦死しその子昌月が継いだ。天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、北条氏邦が侵攻し昌月はこれに降るが、織田信長の武将滝川一益が上野に入ると氏邦も追われて滝川氏の城となる。 しかし、一益は織田信長が本能寺で討たれたため伊勢国に戻り、再び氏邦の支配するところとなった。 天正18年(1590年)豊臣秀吉による小田原征伐の後は、関東に入部した徳川家康の家臣井伊直政が十二万石で入城した。慶長3年(1599年)井伊直政は高崎城を築城し居城としたため箕輪城は廃城となった。

■ 写真感想等

ゴールデンウイークから城巡りをあれこれしてたのですが、アップ出来ておらず。たまってます(笑)百名城の一つ箕輪城へ。

搦手口

土塁

堀切。深いね。

木俣

復元された郭馬出西虎口門

土橋

大堀切。見ごたえ充分。

三の丸跡と石垣。

三の丸から見た大堀切。

鍛冶曲輪に残る石垣

二の丸へ。

二の丸から本丸への本丸馬出し門

二の丸と本丸の堀切。圧巻。

本丸

本丸西虎口。新たに復元するのかな。箕輪城は整備が進んでるね。蔵屋敷へと続く門。蔵屋敷も整備中だった。

御前曲輪

本丸と御前曲輪の堀切。

御前曲輪西虎口門跡

堀切

御前曲輪の井戸跡。

御前曲輪北堀

丸馬出

新曲輪

稲荷曲輪

稲荷曲輪の堀。かつては水堀だったそう。

縄張図

百名城。見ごたえあり。特に堀切がすごいね。整備中の所も多く。城好きとしては、どんどん復元して欲しいね。

殺陣教室706@「語感でアイロニー」#1840

日曜日は、殺陣本部道場。

素手アクションコースは、パンチの攻防から蹴りを絡め取る手付けを。

上のクラスは個別に手付け。久々に男だけだったので、動き回る手付けを。手数が増えたからと言って、何百回もやってきた受け技が雑になるのは出来てない証拠。基本を身体に身に付け、振り付けをもらってもブレずに出来るよう精進しましょう。

いい稽古でした。

衣替えの設定変更を@「語感でアイロニー」#1839

四季折々。花鳥風月。もう無縁ですな。四季じゃなくて、二季。暑いか寒いか。短パンかコートか。

そういやあ、10月1日って、衣替えだよね(笑)

無理!

10月15日設定で丁度いいよね。てか、夏以来、ずっと半袖着てる。ワイシャツだカーディガンだジャケット着てえ。まあ。仕事着で一年中浴衣に袴な恰好だけども。

暦の上では、もうすぐ冬が始まるね(笑)

たぴおか@「語感でアイロニー」#1838

そろそろ、タピオカブームも去るんだろうなあと思ってたら、地元の駅に二か所タピオカドリンクの店が出来ており。学生街ともあって、結構並んでる。

その昔、一度タピオカブームがあったんだけどね。ひっそりと、若者に交じって、二度目のブームを味合うべく、抹茶黒糖味を買ってみたんだけど。

あれな。おじさんには、危険な。ストローから、ふいに訪れる

ちゅるん

と、言う、喉を通さず気管支に直で入ってくる一匹な。

昼下がりの路上でおじさんがタピオカにむせてる哀しい絵たるや。

昔、いや、今も。きな粉が苦手で。急に気管支に入ってむせて、咳き込んで。結果、残りのきな粉も咳で吹き飛ばして、テーブルが黄砂に吹かれた状態になって多大な迷惑をかけた記憶が蘇り。

笑いごとじゃなく、本格的に餅に恐怖を感じる年齢になってくるのだろう。

不意打ちにくる気管支への恐怖たるや。

ちゅるるん

殺陣教室705@「語感でアイロニー」#1837

日曜日は、殺陣本部道場。

素手アクションコースは、空手ベースの手付けを。引手の位置で見栄えが変わってきます。意識していって下さい。

上のクラスは個別に手付け。

今、ラグビーワールドカップが日本で行われ、この間大金星を挙げてたけど。僕の好きな言葉で、

one for all    all for one

一人は皆の為に 皆は一人の為に

殺陣を一つの表現として成立させるためには、この感覚は必要だと思うのです。己の技術を上げつつも、本番の声が掛かったら、私事は抜きにして、主役のスピードに合わせて、裂帛の掛け声のもと斬りかかり、きちんと死ぬまでを表現しきる事。それを、誰彼に言われるでもなく、自分の意思でそれを続ける事。

それが、お互いが上手くなってくことであり、表現の面白さでもある。

いい稽古でした。

殺陣教室704@「語感でアイロニー」#1835

日曜日は、殺陣ワークショップからの本部道場。

稽古場が馬場へ変更。連休とあって武道場が混んでました。

個別に手付け。大参が、急によくなってました。斬り合いをきちんと表現されてました。道場生同士でやる稽古より、俺と組んで厳しい稽古を経て一緒に本番を迎える方が伸びるのかなあ(笑)過去、舞台に呼んで俺と二週間厳しい稽古を積んだ役者が道場戻ってきたら、誰もが認めざるを得ないくらい上手くなってて。でも、それを望んでないであろう人もいるだろうし。指導って難しいよね。まあ。それを望んでる俳優さんには、たまには組んで創るのもありかな、と。

いい稽古でした。

殺陣披露@「語感でアイロニー」#1834

火曜日は、池田と大参を引き連れて殺陣披露。その後、軽く殺陣指導。

2人とも、ど緊張で顔がこわばってました。一発勝負のライブ。そして、殺陣指導はやって見せて上達させる事。違うようで一緒。

出来なきゃいけない

と言うプレッシャー。平然とやってのける技術と精神力。2人とも、いい勉強になったんじゃないかな。普段の道場でも、やるべきことが解るはず。俺は、毎日このずっと見られてる状態で仕事をさせてもらってる。有難い事です。

いい緊張感の中、仕事が出来ました。2人とも、ありがとね。また、ヨロシクね。

殺陣教室703@「語感でアイロニー」#1833

日曜日は殺陣本部道場。

素手アクションコースは、裏拳メインの手付け。

上のクラスは個別に手付け。

火曜日に、殺陣披露の案件があり。他の道場生には乱戦の手付け。その後、俺が芯でカラミが池田と大参。道場生が感じる初めての俺が芯(斬る役)の手付け。年末の手付けは俺は余りの時間をやるくらいで。がっつりやる稽古は初めてかもね。ピンと張りつめた中、細かいダメ出しをして、厳しく稽古。見るのも稽古。俺は、ずっとこうやって稽古をしてきて。道場では、殺陣に対するスタンスもそれぞれ違うからゆっくり教えてるけど。今やるべきこと。毎週取り組む姿勢を感じて欲しいなあと。池田、大参も普段道場では感じないであろう緊張感と圧力とスピードと。二日後に本番を迎えるプレッシャーと責任と。

まあ。汗だくで喉も枯れ。でもね。これなんですよ。人前で見せる責任感と表現に対する誠実さ。

いい稽古でした。