10thGIG 平塚城【東京都北区】@「語感でアイロニー」#1531

■ 別名     豊島城
■ 所在地    北区上中里1-47-1
■ 城郭構造   平山城
■ 築城主    豊島近義
■ 所要城主   豊島氏
■ 築城年    鎌倉時代
■ 廃城年    -
■ 天守構造   -
■ 遺構     堀切 空堀?
■ 復元整備   説明板
■ 指定文化財  -
■ 訪城年月日  2017/04.29

■ 歴史

「平塚明神并別当城官寺縁起絵巻」によれば豊嶋郡の郡衙があった場所に平安時代に豊島近義が築城したと伝えられる。後三年の役の帰路に源義家、義光、義綱の兄弟がこの館に逗留し、手厚いもてなしに感謝した義家は鎧一領と十一面観音像を下賜した。後に、この鎧を城の守り本尊として埋めて塚を築いた。これを鎧塚(甲冑塚)という。また、この塚が高くなく、平たかったことから「平塚」の地名が生まれた、ともされている(しかし、実際には銀環が出土しており、塚は上古の古墳であった可能性が高い)。平塚神社は豊島氏が義家、義綱、義光の徳を慕って三人の宿泊の地に社を営み、影像を奉祀したことが起源とされており、このことから社は昔「平塚三所大明神」と呼ばれていた。甲冑の下賜は単なる伝説であるが、隣接地からは当時の奥州に通ずる道の跡が発見されており、そのため近年では「三人の宿泊自体は十分に有り得たのではないか」とも考えられている(シンポジウム『豊島氏とその時代』、葛城明彦『決戦』ほか)。なお、『桓武平氏諸流系図』には豊島清元の弟として「平塚入道」、後年の『豊島名字之書立』には「平塚豊後」の名が記載されているが、これらの人物と平塚城との関係は明らかではない。

室町時代中期頃に豊島氏は石神井城(東京都練馬区)を築いて本拠とし、練馬城・平塚城はその支城となった(ただし、平塚城については「豊島氏が西方に拠点を移して以降、滅亡直前に至るまで機能していなかった」とする説もある)。なお、近年までは「室町時代の文明年間頃の城主は豊島氏当主泰経の弟の泰明」とするのが通説であったが、現在は研究者の間でも「不明」とされている(「泰経」「泰明」の名も、当時の史料には「勘解由左衛門尉」「平右衛門尉」との官途名の記述しかないため、実際そう呼ばれていたか否かは不明である)。文明8年(1476年)、泰経・泰明兄弟は長尾景春に呼応して関東管領上杉氏に反旗を翻し、石神井城、および練馬城(東京都練馬区)で挙兵した(長尾景春の乱)。文明9年(1477年)4月13日、江戸城主太田道灌は泰明の立て籠もる練馬城に矢を撃ち込み、近辺に放火して引き上げた(なお、近年まで道灌が最初に攻めた城は「平塚城」とされていたが、現在は黒田基樹・齋藤慎一・則竹雄一・西股総生・伊禮正雄・葛城明彦・八巻孝夫・齋藤秀夫らの支持により「練馬城」が新たな通説となっている)。これを見た泰明は、泰経に連絡を取り全軍で出撃し、道灌の後を追った。さらにその知らせを受けた道灌も引き返し、豊島方を迎え撃ったため、両軍は江古田原で合戦となった((「江古田原の戦い」または「江古田原・沼袋の戦い」)。結果として、豊島方は泰明が討ち死にするなど惨敗を喫し、生き残った泰経と他の兵は石神井城に向けて敗走した(この戦いについては「道灌が少数で挑発行為を行い、豊島方を平場におびき出したもの」とする説が有力である)。その後、14日に道灌は石神井城近くの愛宕山(現・早稲田高等学院付近)に陣を張り石神井城と対峙、18日になってからは一旦和平交渉が結ばれた。しかし、豊島氏側が条件であった「城の破却」を実行しなかったことから、21日(または28日)に道灌は攻撃を再開、外城を攻め落としたため、泰経は同日夜に城を捨て逃亡した。翌文明10年(1478年)1月に泰経は平塚城で再挙するが、同月25日に再び道灌が攻撃に向かったため、またしても戦わずして逃亡、以後は行方不明となった。これにより豊島氏本宗家は滅亡、平塚城もその後使用されることなく廃城となった。

江戸時代にはいって将軍徳川家光の頃に神社は針医山川城官貞久によって再興され、家光から寺領50石の寄進を受けた。

■ 写真 感想等

そんなわけで、北区にある4つの城を一気に攻めてみようと言うストロングスタイルを敢行、そして観光した訳ですが。一発目は平塚城。上中里と言う凸凹な駅に降り立ち。なるほど。下車1分で城へ。てか、平塚神社へ。

堀切空堀とあるのはこの中かしら。雰囲気はあるが入れない(笑)

まあ。平山城らしいアップダウン。

練馬区板橋区北区豊島区はこの時代豊島氏の縄張りだったんだね。

痺れるねえ。@「語感でアイロニー」#1530

黄金世代と呼ばれる88年世代の一つ下の89世代もまた才能が集まってるプロ野球。

プロ野球界のエースの称号を手にしつつある原の遺伝子を受け継ぐ巨人菅野VS黒田の後継者の一人広島野村の名勝負数え歌。しかも、WBCで一躍時の人となったラッキーボーイこと、巨人の小林は、高校時代野村とバッテリーを組んでた広陵のバッテリー。今、巨人で菅野と組んでるイケメン君。名勝負数え歌とは同世代が持つ仁義なき戦いのドラマ。

今日1対0で制したのは、菅野。

いやあ。意地と意地のぶつかり合い。

いいねえ。痺れるねえ。

懐かしすぎて、つい。@「語感でアイロニー」#1529

今、スニーカーも色々と復刻してたりしますね。ファッションも80年代に回帰しつつ。しかも、今っぽくアレンジされてて。僕が丁度高校生だった頃に出た、エアーマックス90。前から買おうか迷ってたんですが(笑)つい、買ってしまいました。95にしようか迷ったんですが。次、グレーと蛍光黄色のベタなやつを買おうと思います(笑)いやあ。懐かしい。

嗚呼。渋谷が熱かった。いや、言い直します。ヤバかったあの頃(笑)有名になられた先輩方もいて。

ええ。狩られないよう注意しながら、履いてます(笑)

自分へのご褒美。

殺陣教室585@「語感でアイロニー」#1528

日曜日は殺陣本部道場。

素手のコースは池田。コンビネーションの受け返しと手の動きとポジショニングを細かく。

上のクラスは個別に。

振り付けは、いつもより速いリズムの物を。身体を澱みなく動かせるようにしていきましょう。スピードを上げても汚い動きにならないように。

いい稽古でした。

メンテナンス@「語感でアイロニー」#1527

四月に入って、カレッヂやら養成所やら、新しい出会いをして。刀を持ったこともない俳優さん達にゼロから説明し、型を真似させる為に自分もやってみせる。そんな我が肉体がぱっつんぱっつんな季節。たぶん、教わってる側よりも教えてる俺の方が型稽古を繰り返してる現実。

修行か(笑)

この季節は毎年体重が減る。体のメンテナンスをするようにしています。ずばり、

銭湯

です。ジャグジーな泡風呂で、肩と腰を温めてます。週一で行くようにしてます。家の風呂とは、疲れの取れ方が違う。何より、気持ちいい。

その後、

思春期か!

ってぐらい、飯を食べます(笑)

殺陣教室584@「語感でアイロニー」#1526

桜が散っても、樹々が新緑になりはじめ、心癒される今日この頃。好きですね、心が躍ります。

昨日は殺陣本部道場。

素手のコースは池田と石川。石川が舞台稽古の合間を縫って参加してくれました。

上のクラスは個別に。

カラミ(斬られ役)をやると、表現者としての資質がモロに出ます。視野の広さ。大事です。

いい稽古でした。

今年も咲き誇ってますな@「語感でアイロニー」#1525

今年も、桜が咲き誇ってますね。しかし、あれな。この季節いつも感じるね。

花に嵐

の例え。必ず、雨降って花が散ってくんだよなあ。だから、日本人独特の感性を刺激するのかな。

今年も載せます。花は桜木。チェリーブロッサム2017。

これ。珍しくないですか。色と言い、ミニマム感と言い、三色感と言い。妙に目立ってて、これはこれで好きだな。

で。

毎年この直後ぐらいから、

もう、夏じゃん!

と、騒ぎだすよね(笑)

花に嵐のたとえもあるさ さよならだけが人生だ by井伏鱒二

峠@「語感でアイロニー」#1524

越後長岡藩河井継之助の小説。西郷、大久保、桂、高杉、坂本と言う有名な志士たちの陰で、有名な人ではないですが。戊辰戦争で最も激しかった北越戦争を指揮した家老。佐幕側、所謂負ける事が解っていながら、そちらについてしまう強烈な武士道。佐幕側についた武士には、何か共通の精神性を感じるね。面白かった。

殺陣教室583@「語感でアイロニー」#1523

昨日は殺陣本部道場。

素手のコースは池田。2人だったので、ミット連打を400に増やす。池田が蹴ってる時に俺が数を数えるのだが。

1

と、言った後に笑いが止まらなくなってしまい。これから始まる地獄のようなキック連打の始まりと挑むんだと言う馬鹿馬鹿しさの想像力が同居して(笑)いやあまあね。これだけは体験してみないとどれほどキツイかは解らないだろう。俺もその後やってみたのだけれど。一言で言えば、

ミット連打の向こう側

へ行った気がする(笑)

素手アクションコース

と言うより、

ダイエットコース

に近いね(笑)量をこなしたので、元の回数に戻ったら、質を上げる。ここが大事。

上のクラスは個別に。ベテラン勢のみだったので、細かく。視野が広くなり、相手との呼吸やら避けるタイミングが読めるようになった連中にのみ教えるヨンパチでやってた頃の間合いやスピード。この日は、俺もカラミ(斬られ役)に入って教えていった。年末とかは、きちんとこの日参加した連中のタイミングで斬られてたんだが。こちらから始動して、このタイミングで斬るのが理想的みたいなリズムでやりました。何百回とやったであろう簡単な振り付けも、間合いを詰めて速度を上げるととたんに出来なくなる。

やり続ける努力をしてきた道場生達。上級へ向けて精進あるのみ。

まあ。キラキラと楽しそうでしたね。いい顔してた。

いい稽古でした。

絶対に負けられない・・・@「語感でアイロニー」#1522

サッカー日本代表の試合は毎度興奮し、毎度ハラハラしますな。一時期あったキャッチコピー。

絶対に負けられない戦いがそこにはある。

好きです(笑)

俺の低レベルな。そして、少し笑えて少し切ないお話を。俺は中学から剣道部に入った訳だが。中一の時の初の大会の試合があった。初めて体験する緊張感。対戦相手の名前を見て驚愕を覚えた。よりによって、相手の名前が

小浜

俺の名前は

大浜

だYO!おい!韻を踏んでる場合ではない。このぱっつんぱっつんに緊張してると言うのに。しかも、先輩方が爆笑しながら、

大浜!対戦相手の名前。小浜だぞ。お前の方が大きいんだから、負けられねーな!

と、はっぱをかけてくるではないか。しかもだよ。何の因果か、対戦相手の小浜君。身長が180センチ近い。横も縦もデカい。デカいのに小浜。俺は、当時チビ。また先輩が

身長は相手が大浜で、お前の方が小浜だな。ぎゃははは!お前、負けたら、明日から、あだ名は小浜な。

と。

コントかよ!

負けて剣道部内で、あだ名が

小浜

なだけなら、耐えられるけど。同級生にまでそれが広まったら、大変な事になるわけで。授業中、トイレに駆け込んで翌日から

うんこマン

と、あだ名されるに近い。なんでしょう。中学三年間が暗い影を帯びるであろうあだ名。馬鹿にされ続ける三年間・・・・こ、怖い。恐ろしく、怖い。

俺、思いました。

絶対に負けられない戦いがそこにはある

と。

結果を言えば、勝ったんだが。良かったよ。俺、三年間、あだ名が

小浜

ではなく、

浜ちゃん

で(笑)