恥ずかしすぎて・・・@「語感でアイロニー」#1511

昨日、殺陣の個人レッスンの仕事がありまして。休憩中、映画の話になり。

ラ・ラ・ランド

の事を俺は完全なる思い込みで

ラ・ラ・ラ・ランド

と、言っており。受講生から爆笑され

大濱さん。「ラ」が一つ多いっす。マジっすか?

と、言われ。あの、なんでしょう。恥ずかしすぎて

顔から火が出る

とはよく言いますが。もう、そのワンランク上を行く

顔から血が出る

勢いで。いやあ。個人レッスンでまだ良かったよ。養成所やカレッジみたいな10人や20人規模の前だったら、間違いなく

切腹

してるよ。いや、マジで。

昨日、余りの衝撃にあまり寝付けなかったもんね(涙)

殺陣教室578@「語感でアイロニー」#1510

昨日は殺陣本部道場。

素手のコースは池田と石川。ミット連打と1対2の捌きを少々。後ろの敵をどう捌いていくか。

上のクラスは個別に振り付け。

大参が著しい成長を遂げており。

こいつ、陰で反復稽古してるんだろうなあ。

と、嬉しく思いつつ。石川には斬っては納刀。斬っては納刀の居合の手。これが一番難しいかな。振り付けは簡単なんだけど。静寂の間ってやつね。俳優力がモロに出る振りだね。

いい稽古でした。

単二@「語感でアイロニー」#1509

殺陣指導を終え帰宅して、ふと目覚まし時計を見ると止まってる。

いつもこれ

運だなあ。

と、思う。そして、ほっとする。これさ、寝てる間に目覚まし時計が止まってたらさあ。大惨事なわけじゃん。ただでさえ、この季節布団から出るのにかなりの勇気がいるのに。てか、起きるまでに寝返り五千回ぐらい打ってようやく布団から出る季節じゃん。ちょいキレ気味で起きる季節じゃん。

で。単二な。

語感が笑えると言うか。滅多に買わない感と言うか。コンビニで単二の電池を買ってる自分が可笑しいと言うか。

殺陣教室577@「語感でアイロニー」#1508

昨日は殺陣本部道場。

素手のコースは池田。型稽古の深さを実践して見せる。俺が最も大事にしてる躍動感かな。振り付けやセリフは超えてかないと表現とは言えないからね。

上のコースは個別に。

ぶっちゃけ、最初の内はカラミ(斬られ役)の方が難しく感じると思う。ベテラン勢がシン(斬る役)を取る時に大参をカラミで入れるようにしてる。最近は、ようやく慣れてきて、周りが見えるようになってきたからね。斬りかかる時の声が少し置きにいってたので、

自分が思うマックスの声を出して斬り込んでみろ。遠慮はいらないし、失敗も恐れるな。

と、アドバイス。

不思議だよね。そうすると、見てる側が斬り合いをやってるように見えるんだから。ようやく、大参も俳優としてシーン創りに参加出来たね。俺もなんだか凄く嬉しくて。

ウェルカム 大濱道場。

いい稽古でした。

2017帖佐邸GIG@「語感でアイロニー」#1506

土曜日は、一年に一度必ず行われる旧ヨンパチメンバー達との新年会。帖佐夫婦の美味しい手作り料理を堪能して、美味しい酒を飲みながらの馬鹿話大会。

今年は、ヨンパチでお世話になってたカメラマンの土居さんも参加されててビックリ。五年ぶりぐらいの再会。大阪にいるもんだと思ってたら、東京でまたカメラマン活動を始めたとの事。腕のある盟友。何か仕事が繋がったら嬉しいね。

帖佐の嫁さんの八重ちゃんや姐さんの親友のレイちゃんも参加。懐かしすぎだよね。

今年も写真大会

結局、連休も手伝って馬鹿四人。老骨にムチ打って朝までコース。途中、俺は爆睡してたけど(笑)

また来年。元気に会おうぜ。

殺陣教室576@「語感でアイロニー」#1505

昨日久々に飲み会で朝までコースをやらかしてしまい。だるい体を引きずりながら、lineがおかしなことになっててんやわんやしながら、夕方より殺陣道場。

本日は、本部道場が使えなかった為、馬場へ。

普通に稽古場がある有難さ。当たり前の事に感謝しないとね。

振り付けは個別に。

いい稽古でした。

8thGIG 志村城【東京都板橋区】@「語感でアイロニー」#1504

■ 別名    千葉城 板橋城 篠田城
■ 所在地   東京都板橋区志村2丁目
■ 城郭構造  平山城
■ 築城主   志村氏
■ 主要城主  志村氏 千葉氏
■ 廃城年   天正18年(1590)
■ 遺構    土塁 空堀
■ 復元整備  石碑 案内板
■ 指定文化財 板橋区指定史跡
■ 訪城日時  2017/02.07

■ 歴史
豊嶋氏の一族である志村氏の築城といわれる。康正元(1455)年、下総千葉氏の内紛で、千葉氏庶流の馬加城主・馬加氏は亥鼻城を陥とし、千葉氏嫡流の千葉介直胤・胤宣父子は下総香取郡の多古城・志摩城に追い詰められ自刃、千葉介は馬加氏によって奪われた。直胤の弟・胤賢も小堤城で自刃した。その子実胤・自胤は市河城(国府台城)で馬加氏に抵抗したがこれも陥とされ、扇谷上杉氏を頼って武蔵に逃れた。大永四(1524)年に北条氏綱に攻められその後、扇谷上杉氏重臣の太田道灌によって庇護され、実胤は石浜城、自胤は赤塚城にそれぞれ入り「武蔵千葉氏」となり志村城は赤塚城の支城として機能したと考えられているようだ。廃城時期なども不詳のようですが、おそらくは小田原の役で、他の後北条氏系の城砦同様に落城などの運命を辿ったと考えられている。
城址に建立されている熊野神社の社伝では長久3(1042)年に志村将監が紀州熊野から神社を勧請して創建したと伝えられている。一族の千葉隠岐守信胤の名にちなんで、城址近くの坂道は今も隠岐殿坂と呼ばれているそうだ。

■ 写真 感想等

赤塚城の支城と言う事で、この日板橋を制すべく、二つ目の城巡り。うん。坂が半端なく、足パンパン(笑)この公園を上がり城址碑を見つけるのに苦労して一周しちゃったもの。もう一度言う。足パンパン。

やっと見つけた。もうさ、何。二の丸に幼稚園があって、運悪く下校時で。俺、不審者扱いされてないか、ドキドキしたもの。カメラ持っちゃってるし(笑)

二の丸に建てられた熊野神社。

裏に回ると、そこは土塁であった。細々と残ってる。ここだけは残しておいて欲しいですね。

そして、これが本丸に建てられた天守閣(笑)

ごめんなさい。嘘付きました。超高級高層マンション。うう。時代の波に・・・。それにしても、凄い坂でしょ。そして、立地的に城を造ったのも納得だね。これ言うの三回目だけど。足パンパンだから。主郭は学校や工場となり遺構は残されていないが、昭和30年代までは土塁や空堀が良く残されていたらしい。板橋区内には志村城や赤塚城の他にもいくつかの名も無き城館が存在していたんだって。

■ 縄張り図

7thGIG 赤塚城【東京都板橋区】@「語感でアイロニー」#1503

■ 別名    千葉城
■ 所在地   東京都板橋区赤塚5丁目
■ 城郭構造  平山城
■ 築城主   千葉自胤
■ 主要城主  千葉氏 松戸越前守
■ 廃城年   1590年
■ 遺構    曲輪 土塁 水堀 空堀
■ 復元整備  石碑 案内板
■ 指定文化財 板橋区指定史跡
■ 訪城日時  2017/02.07

■ 歴史

桓武平氏の流れを汲む名門千葉一族は、関東における戦国のきっかけを作った享徳三(1454)年勃発の、関東公方・足利成氏と上杉氏の抗争となった「享徳の大乱」に呼応した下総千葉氏の内紛で、康正元(1455)年、千葉氏庶流の馬加城主・馬加氏は亥鼻城を陥とし、千葉氏嫡流の千葉介直胤・胤宣父子は下総香取郡の多古城・志摩城に追い詰められ自刃、千葉介は馬加氏によって奪われた。直胤の弟・胤賢も小堤城で自刃した。その子実胤・自胤は市河城(国府台城)で馬加氏に抵抗したがこれも陥とされ、扇谷上杉氏を頼って武蔵に逃れた。太田道灌は千葉氏嫡流の二人を庇護し、実胤は武蔵石浜城に、自胤は赤塚城に置かれて「武蔵千葉氏」となった。千葉自胤は太田道灌の配下として、石神井城に籠る豊嶋氏の鎮圧や、文明十一(1479)年、長尾景春方の千葉孝胤を討つため太田道灌の弟・太田持資、資忠の軍が臼井城を攻めた際にも主力の一翼として参加したが下総奪還は果たせず、太田道灌の死後は北条氏の配下となった。天正十八(1590)年の小田原の役では武蔵千葉氏配下の松戸越前守が守備していたが、北条氏と運命をともにし、赤塚城も廃城となった。名族千葉氏はここに終焉を迎えてしまう。

■ 写真 感想等

板橋と言えば急なアップダウン。昔、ポスティングのバイトをしてた頃、板橋区だけは避けたいと言う感覚が、城跡を見るに

なるほどな

と、本日思った次第で。それほど遺構が残ってる訳ではないのですが。中々ね。いい運動になりましたよ(笑)

外堀だったそうですが。てか、釣り堀です(笑)のどかですな。釣り人で賑わってます。

意外と急です。

本丸までに続く外堀。土塁。空堀。都心とは思えない一郭。

本丸跡地へ。

広い。

本丸。梅林。まだ寒い季節。確実に春が訪れようとしてます。風雪耐えて梅花麗し。

乗蓮寺。ここが二の丸跡地だそうです。

大仏でけえ。軽自動車と比べると一目瞭然。

この紋所が目に入らぬか!葵の御紋。

お城の基本。水と見晴らし。不動の滝。

遠くから見た赤塚城。

外堀の土塁。

縄張り図。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内の巨大住宅地高島平のすぐそば、現在は赤塚公園の一部として城址が残ります。高島平団地付近の開発が始まった昭和四十年代頃までは、この赤塚城もほぼ手つかずで、空堀などの遺構がはっきり残っていたようですね。もともとは荒川の河岸段丘上に築城され、段丘の下は荒川氾濫原の湿地帯に守られた堅固な城だったようです。現在城址の碑が建つ丘が本丸跡と言われ、その周囲に二ノ丸・三ノ丸にあたる曲輪があったと言われます。

都内で、軽い登山が出来ますな(笑)楽しいな、城巡り。