■ 別名 千葉城
■ 所在地 東京都板橋区赤塚5丁目
■ 城郭構造 平山城
■ 築城主 千葉自胤
■ 主要城主 千葉氏 松戸越前守
■ 廃城年 1590年
■ 遺構 曲輪 土塁 水堀 空堀
■ 復元整備 石碑 案内板
■ 指定文化財 板橋区指定史跡
■ 訪城日時 2017/02.07
■ 歴史
桓武平氏の流れを汲む名門千葉一族は、関東における戦国のきっかけを作った享徳三(1454)年勃発の、関東公方・足利成氏と上杉氏の抗争となった「享徳の大乱」に呼応した下総千葉氏の内紛で、康正元(1455)年、千葉氏庶流の馬加城主・馬加氏は亥鼻城を陥とし、千葉氏嫡流の千葉介直胤・胤宣父子は下総香取郡の多古城・志摩城に追い詰められ自刃、千葉介は馬加氏によって奪われた。直胤の弟・胤賢も小堤城で自刃した。その子実胤・自胤は市河城(国府台城)で馬加氏に抵抗したがこれも陥とされ、扇谷上杉氏を頼って武蔵に逃れた。太田道灌は千葉氏嫡流の二人を庇護し、実胤は武蔵石浜城に、自胤は赤塚城に置かれて「武蔵千葉氏」となった。千葉自胤は太田道灌の配下として、石神井城に籠る豊嶋氏の鎮圧や、文明十一(1479)年、長尾景春方の千葉孝胤を討つため太田道灌の弟・太田持資、資忠の軍が臼井城を攻めた際にも主力の一翼として参加したが下総奪還は果たせず、太田道灌の死後は北条氏の配下となった。天正十八(1590)年の小田原の役では武蔵千葉氏配下の松戸越前守が守備していたが、北条氏と運命をともにし、赤塚城も廃城となった。名族千葉氏はここに終焉を迎えてしまう。
■ 写真 感想等
板橋と言えば急なアップダウン。昔、ポスティングのバイトをしてた頃、板橋区だけは避けたいと言う感覚が、城跡を見るに
なるほどな
と、本日思った次第で。それほど遺構が残ってる訳ではないのですが。中々ね。いい運動になりましたよ(笑)
外堀だったそうですが。てか、釣り堀です(笑)のどかですな。釣り人で賑わってます。
意外と急です。
本丸までに続く外堀。土塁。空堀。都心とは思えない一郭。
本丸跡地へ。
広い。
本丸。梅林。まだ寒い季節。確実に春が訪れようとしてます。風雪耐えて梅花麗し。
乗蓮寺。ここが二の丸跡地だそうです。
大仏でけえ。軽自動車と比べると一目瞭然。
この紋所が目に入らぬか!葵の御紋。
お城の基本。水と見晴らし。不動の滝。
遠くから見た赤塚城。
外堀の土塁。
縄張り図。
都内の巨大住宅地高島平のすぐそば、現在は赤塚公園の一部として城址が残ります。高島平団地付近の開発が始まった昭和四十年代頃までは、この赤塚城もほぼ手つかずで、空堀などの遺構がはっきり残っていたようですね。もともとは荒川の河岸段丘上に築城され、段丘の下は荒川氾濫原の湿地帯に守られた堅固な城だったようです。現在城址の碑が建つ丘が本丸跡と言われ、その周囲に二ノ丸・三ノ丸にあたる曲輪があったと言われます。
都内で、軽い登山が出来ますな(笑)楽しいな、城巡り。




























