巨人の阿部慎之助が2000本安打を達成しましたね。おめでとうございます。
球界で絶滅危惧種と言われてる打てるキャッチャー。それだけ、リードに頭を使い体力的にもキツイと言われる守備の要。しかも、阿部は、巨人の。生え抜きの。四番の。キャプテンの。
である。価値と言うか重みと言うか。その上での記録達成。いいバッターだよね。流し打ちてもホームラン打てるし。
巨人生え抜きでは、柴田勲以来らしい(笑)赤い手袋の(賭博で捕まった時、トランプ柄のセーター着てた人)
由伸も達成出来なかったんだよねえ。
巨人の阿部慎之助が2000本安打を達成しましたね。おめでとうございます。
球界で絶滅危惧種と言われてる打てるキャッチャー。それだけ、リードに頭を使い体力的にもキツイと言われる守備の要。しかも、阿部は、巨人の。生え抜きの。四番の。キャプテンの。
である。価値と言うか重みと言うか。その上での記録達成。いいバッターだよね。流し打ちてもホームラン打てるし。
巨人生え抜きでは、柴田勲以来らしい(笑)赤い手袋の(賭博で捕まった時、トランプ柄のセーター着てた人)
由伸も達成出来なかったんだよねえ。
昨日は殺陣本部道場。
気温は35度だわ。台風の影響か湿気が不快感マックスだわで。男子更衣室が地獄絵図と化してました。身体を動かした後の不快感たるや。クーラー直して欲しいと切に願いながら。稽古場は快適なんだけどね。
素手のコースは池田。受けては落ち。受けては落ちの繰り返しの半年。ようやく長いトンネルを抜け、新たな型へ。腐らず精進した結果だね。運良く受かるより、はるかに勉強になったんじゃないかな。おめでとう。
上のコースは個別に手付け。野郎だけだったので。厳しく激しく丁寧に。動きっぱなし。
古川君が帰りに
これですよ。この激しさが楽しいんですよねえ
と。流石、大濱道場10年選手(笑)
稽古後の帰り道。猛暑で全員汗引かず。雨に打たれたような感じになってたけど(笑)
いい稽古でした。
■ 別名 -
■ 所在地 埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2
■ 城郭構造 平山城
■ 天守構造 -
■ 築城者 長尾景春 北条氏邦
■ 主要城主 長尾氏 上杉氏 後北条氏
■ 築城年 文明8年(1476) 永禄年間(1558~1570)
■ 廃城年 -
■ 遺構 曲輪 土塁 石垣 空堀
■ 復元整備 平成16年笹曲輪 二の曲輪の一部 三の曲輪(四脚門 四阿 池 土塁 馬出)
■ 指定文化財 国指定史跡
■ 訪城日時 2017/05.04
■ 歴史
鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。指定面積は約24万㎡です。
城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。
鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
また、鉢形城跡の周辺には、殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺えます。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、激しい攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城の後、北条氏邦は、6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。
開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。
■ 鉢形城の構造
鉢形城は、深沢川が荒川に合流する地点に立地しているため、地形上、東南北側は堅固ですが、西側は開けており防衛上の弱点となっています。そのため、城主の居館や上級武士の館のあった本曲輪から西側に何重にも深い堀切を行い、二の曲輪・三の曲輪などの曲輪をいくつも造成しました。さらにその外側には寺院を密集させて寺町とし防備を厚くしました。
大手の位置は、城の西側で、城の拡張とともに移動しましたが、最終的には現在の諏訪神社の南側付近にあったと考えられています。
各曲輪は、堀と土塁で囲まれるほか、主要な出入口には方形の馬出を備えており、曲輪ごとに部将が定められ管理をまかされていました。また、城の外側は周囲の小河川を上手く取り込み、水堀としていました。
深沢川の南側には、後に城を拡張して外曲輪を造成し、下級武士の住まいなどとしたほか、さらにその南側に城下町を形成し、城の守りを兼ねさせていました。
■ 写真 感想等
まあ。とにかく広い。ほんとに広い。感想が子供みたいですいません。百名城スタンプも押してきたよー。だから、子供か。鉢形城は荒川の断崖絶壁の上に建てられたお城。正に天然要害。
笹曲輪跡。
石垣。
笹曲輪と伝御殿曲輪の間の土塁。
伝御殿曲輪跡。
本曲輪にある本丸跡。
土塁。流石に本丸近くなのでかなり高くなってる。
二の曲輪へ。ひ、広い。とてつもなく広い。
崖の方に近づくと、荒川が見える。これは敵が攻めにくいだろうなあ。
二の曲輪と三の曲輪の間にある空堀。土塁。堀と畝も見受けられる。壮大なり。
三の曲輪。
井戸。
流石に枯渇してます。
馬出。
伝秩父曲輪の復元四阿。
ここにも井戸。
伝秩父曲輪(門と土塀の後方の区域)は、一段高くなっており、幅2間半(約5m)で6段の階段が確認された。階段の最上段には、門が確認され、東側は壊されていましたが、礎石の一部と雨だれによってできた溝が確認されたので、間口は1間半(約3m)と想定。
階段の最下段の西側には石列が一列確認され、階段を隠す「蔀(しとみ)」の一部と考えられる。この場所は、畑になっていたが、発掘調査の結果、石積土塁が検出された。この石積土塁が北向きに折れる部分(右奥)は、最上位面が広くなることから、ここに「櫓(矢倉)」が建てられていた可能性があると考えられている。
ここから土塁の間を通り諏訪神社(馬出)に向かう部分が虎口で、ここには、門のあった可能性が極めて高いが、発掘調査では確認できなかったそうです。柱穴が確認されなかったため礎石建ちの門であった可能性があると考えられるとの事です。
石積
復元四脚門
石組排水溝跡。
三の曲輪からの石積。
三の曲輪から見た四脚門。
三の曲輪と伝諏訪曲輪の間の土塁。
諏訪神社。
土塁。少し水が流れてる。目の前は八高線。
大手から伝逸見曲輪を眺める。
伝逸見曲輪の空堀。 伝逸見曲輪から大手を眺める。鉢形城跡は、伝逸見曲輪だけにかぎらず、この他にも複雑な地形をした処が多く残っています。
馬出。
伝御殿下曲輪と外曲輪の土塁。
天然の要害も駆使しつつ。
城の間を流れる深沢川。天然の内堀でしょうか。人工的でない所が凄いよね。
伝大光寺曲輪。放置され感半端ない。
外曲輪の土塁。
馬出。
搦手橋跡。
荒川から眺める長久院跡。中は民家になってるのと険しすぎて観れない。
へとへとになりながら一周を見終わって。伝御殿曲輪と伝御殿下曲輪の間の道路。もとい、土塁。
帰りに県指定名勝 玉淀へ。
荒川から見る鉢形城。
■ 縄張り図。復元模型等
てか、梅雨明けてなくね?
暫くの間の夏過ぎる位の時期にぬるっと梅雨明け宣言してたけど。実はまだ、明けてねーんじゃねえかと思う今日この頃。
地元を歩いてたら
ラジオ体操会場
の看板を見つける。
懐かしいなあ
小学生の時、夏休みに親に叩き起こされて地区のラジオ体操行かされたっけ(笑)ぶっちゃけ、
ラジオ体操しながら寝てたよね。ラジ寝してたよね。
ハンコ貰っても何一つの嬉しさもなく。大濱少年は、今も昔も変わらず。
やりたくないことは一切やらない主義。
でして。当然一回行って義理を果たしたら、親が何を言おうとぶん殴られようと一切の言う事を聞かないガキでした(笑)
だけど。夏休みのプールは毎年皆勤賞だったんだよねえ。これまた親が
今日は寒いから止めときなさい
と、言われても。
行く
の一言(笑)
昨日は殺陣本部道場。
素手のコースは池田と石川。蹴り多めの決めは護身術的な手付けを。もう少しスピードを上げれるよう精進しましょう。
上のクラスは個別に。二十年来の俳優仲間で映画監督でもある真田幹也氏が上のクラスに入会。最初は覚えることで精一杯でしょうが、精進して行きましょう。
そして、北川瞬がネーム入りの袴と胴着を持参。着付けを教える。男前だから和服姿もよく似合う。何よりも、
振り付けをもらったら即座に俺ならこういう風にやってみる
と、いう事をやろうとする姿は立派。失敗を恐れずやってみる事。本当に大事。芝居心があるね。どう歩いていこうか。どう納刀しようか。考えながらシーンを創ろうとしてる。上のクラスに来てまだ三回目。ベテラン勢も見習うべきですよ。俳優を名乗る連中は、殺陣の技術さえ上手くなればなんとかなると言う感覚を捨てるべき。道場以外では通用しなくなります。
一瞬一瞬を大事にしながら積み重ねて行く事。簡単なようで本当に難しい。
いい稽古でした。
終了後、幹也と久々に飲み色々話す。もう二十年くらい前の哲さんの別荘での写真を見せられ爆笑。この頃のロッキーは痩せててしゅっとしてたね(笑)
そして、俺な(笑)
この時のギラギラした目付きでは今の殺陣指導の仕事絶対出来ないな。我ながらびっくりしたよ(笑)二十年前の自分に言ってあげたい。
どうした。怖すぎるよ。
と(笑)
幕末とか戦国だとかは仕事柄好き嫌い問わず調べ物をするのだが。
長い間、放置してた幕末の火薬庫が如き長州藩の小説を読み終わる。やっぱ、司馬遼太郎は読みやすいね。姉妹編のような「世に棲む日々」と「花神」。
時代に選ばれた突き抜けた狂人達。ある意味での天才。平和な世なら昭和初期のデカダンスな文豪のような生き方をしてたのかもなあ。日本だと、
出る杭は打たれる
んだよねえ。吉田松陰は、眠ってた長州藩を思想で叩き起こし、自分の思想を結晶化しようとして、それに忠実であろうとするあまり、人生そのものを喪ってしまう。この第一世代は多くは刑死してるよね。二代目は、高杉晋作や坂本龍馬のような、豪放磊落な乱世の雄。刑死することはないが、多くは乱刃の中で闘争し、結局は非業の死を迎える。そのギリギリの段階で、日本史上稀な天才軍略家緻密すぎるほどの神経を持った大村益次郎が圧倒的な職人的な仕事をするも、維新を迎えると共に暗殺されたりする。
そして、三代目は、伊藤博文や山県有朋が、理想より実務を重んじ、いつの時代でも有能な処理家、事業家として通用する才能と性格を持っており。たまたま時世時節の事情から革命グループに属しているだけであり、結局は初代と二代目がやり散らかした大味な仕事の形をつけ、新しい権力社会を創り上げ、その社会を守るため、多くの保守的な権力者となる。
そして、もう一人。桂小五郎こと、明治以降は木戸孝允を名乗る有名な男。彼は、超一流のバランス能力者なんだろうね。天才に天才を紹介し、国を挽回させ。その天才的政治バランス能力であるが故に、維新後は理想と現実の狭間で取り残され、メランコリーな気難しい人になってしまい。
色々考えさせられますね。
面白きこともなきこの世を面白く
か。高杉晋作はカッコいいね。やっぱ芸術家的要素があるよね。
いい時間を過ごせました。次は何を読もうかなあ。
昨日は殺陣本部道場。
素手のコースは池田と石川。後ろから肩を掴まれてからのと言うシチュエーションを付けての手付け。演技がクサくならないよう相手に集中していきましょう。
上のクラスは個別に。
静寂の間を駆使出来ない俳優は殺陣の入った演技やシーン創りは難しいかなと。上っ面の殺陣の技術ではないもう一つ先へ。軽くならないよう自分なりに研究してみて下さい。
いい稽古でした。
まだ梅雨明けしてねえのな。もうよくね?明けてるでいいよ(笑)
昨日は殺陣本部道場。
男子更衣室がサウナ状態。吐きそうなほどに。毎年恒例の更衣室であります。公民館での稽古場ではないので、時間に融通も利くし。贅沢ないい稽古場だとは思うのですが。
素手のコースは池田。縛りのある手付けを自由に捌く稽古。勿論当てませんよ(笑)シーンに合わせた護身術的な関節の極め技等を披露。物にしてって下さい。
上のクラスは個別に振り付け。瞬は役者として伸びますね。本質を理解して出来なくともそこに向かう姿勢は立派。
稽古に参加したから上手くなるのではない。アドバイスは出来てもそれに対してどう向き合うかは本人の問題。一瞬一瞬を大事にしていきたいものです。
意思は固く。頭は柔軟に。
いい稽古でした。
殺陣指導を終えて、夜遊びに行かない時は、帰宅してから直ぐにクーラーをバッキバキの19度に設定しておきます。で。即、風呂に入ります。一日の疲れやストレスがじんわり汗と共に流れ落ちます。
まあ。風呂出た時の小さな幸せたるや。
汗引いたら、これまたバッキバキに冷えたビールを片手に我が家の小さなベランダに出て、夜風に当たりながらビールを飲んで、タバコをゆったりと吸う。
小さな幸せマックスであります。永ちゃんの真似をしながら
俺、サイコウ!
と、叫びます。
で。映画を観たり野球を観たりしながら飯食って。歯磨きして。ここから先は、男性諸君なら賛同してくれるはず。余りの寒さに季節外れの毛布にくるまりブルブル震えながら寝る小さな幸せ。そして、大きな背徳感。
止められないんだなあ、これが。
ただし。朝起きた時の猛烈な気だるさ感たるや。
絶対に身体に悪い寝方であります。
良い子の皆さんは真似をしないように(笑)