19thGIG 鉢形城【埼玉県寄居町】@「語感でアイロニー」#1569

■ 別名     -
■ 所在地    埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2
■ 城郭構造   平山城
■ 天守構造   -
■ 築城者    長尾景春 北条氏邦
■ 主要城主   長尾氏 上杉氏 後北条氏
■ 築城年    文明8年(1476) 永禄年間(1558~1570)
■ 廃城年    -    
■ 遺構     曲輪 土塁 石垣 空堀 
■ 復元整備   平成16年笹曲輪 二の曲輪の一部 三の曲輪(四脚門 四阿 池 土塁 馬出)
■ 指定文化財  国指定史跡
■ 訪城日時   2017/05.04

■ 歴史
鉢形城跡は、戦国時代の代表的な城郭跡として、昭和7年に国指定史跡となりました。指定面積は約24万㎡です。
城の中心部は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれていて、天然の要害をなしています。この地は、交通の要所に当たり、上州や信州方面を望む重要な地点でした。
鉢形城は、文明8年(1476)関東管領であった山内上杉氏の家宰長尾景春が築城したと伝えられています。後に、この地域の豪族藤田康邦に入婿した、小田原の北条氏康の四男氏邦が整備拡充し、現在の大きさとなりました。関東地方において有数の規模を誇る鉢形城は、北関東支配の拠点として、さらに甲斐・信濃からの侵攻への備えとして重要な役割を担いました。
また、鉢形城跡の周辺には、殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺えます。
天正18年(1590)の豊臣秀吉による小田原攻めの際には、後北条氏の重要な支城として、前田利家・上杉景勝等の北国軍に包囲され、激しい攻防戦を展開しました。1ヶ月余りにおよぶ籠城の後、北条氏邦は、6月14日に至り、城兵の助命を条件に開城しました。
開城後は、徳川氏の関東入国に伴い、家康配下の成瀬正一・日下部定好が代官となり、この地を統治しました。

■ 鉢形城の構造
 
鉢形城は、深沢川が荒川に合流する地点に立地しているため、地形上、東南北側は堅固ですが、西側は開けており防衛上の弱点となっています。そのため、城主の居館や上級武士の館のあった本曲輪から西側に何重にも深い堀切を行い、二の曲輪・三の曲輪などの曲輪をいくつも造成しました。さらにその外側には寺院を密集させて寺町とし防備を厚くしました。
大手の位置は、城の西側で、城の拡張とともに移動しましたが、最終的には現在の諏訪神社の南側付近にあったと考えられています。
各曲輪は、堀と土塁で囲まれるほか、主要な出入口には方形の馬出を備えており、曲輪ごとに部将が定められ管理をまかされていました。また、城の外側は周囲の小河川を上手く取り込み、水堀としていました。
深沢川の南側には、後に城を拡張して外曲輪を造成し、下級武士の住まいなどとしたほか、さらにその南側に城下町を形成し、城の守りを兼ねさせていました。

■ 写真 感想等

まあ。とにかく広い。ほんとに広い。感想が子供みたいですいません。百名城スタンプも押してきたよー。だから、子供か。鉢形城は荒川の断崖絶壁の上に建てられたお城。正に天然要害。

笹曲輪跡。

石垣。

笹曲輪と伝御殿曲輪の間の土塁。

伝御殿曲輪跡。

本曲輪にある本丸跡。

土塁。流石に本丸近くなのでかなり高くなってる。

二の曲輪へ。ひ、広い。とてつもなく広い。

崖の方に近づくと、荒川が見える。これは敵が攻めにくいだろうなあ。

二の曲輪と三の曲輪の間にある空堀。土塁。堀と畝も見受けられる。壮大なり。

三の曲輪。

井戸。

流石に枯渇してます。

馬出。

伝秩父曲輪の復元四阿。

ここにも井戸。

伝秩父曲輪(門と土塀の後方の区域)は、一段高くなっており、幅2間半(約5m)で6段の階段が確認された。階段の最上段には、門が確認され、東側は壊されていましたが、礎石の一部と雨だれによってできた溝が確認されたので、間口は1間半(約3m)と想定。
階段の最下段の西側には石列が一列確認され、階段を隠す「蔀(しとみ)」の一部と考えられる。この場所は、畑になっていたが、発掘調査の結果、石積土塁が検出された。この石積土塁が北向きに折れる部分(右奥)は、最上位面が広くなることから、ここに「櫓(矢倉)」が建てられていた可能性があると考えられている。
ここから土塁の間を通り諏訪神社(馬出)に向かう部分が虎口で、ここには、門のあった可能性が極めて高いが、発掘調査では確認できなかったそうです。柱穴が確認されなかったため礎石建ちの門であった可能性があると考えられるとの事です。

石積

復元四脚門

石組排水溝跡。

三の曲輪からの石積。

三の曲輪から見た四脚門。

三の曲輪と伝諏訪曲輪の間の土塁。

諏訪神社。

土塁。少し水が流れてる。目の前は八高線。

大手から伝逸見曲輪を眺める。

伝逸見曲輪の空堀。 伝逸見曲輪から大手を眺める。鉢形城跡は、伝逸見曲輪だけにかぎらず、この他にも複雑な地形をした処が多く残っています。

馬出。

伝御殿下曲輪と外曲輪の土塁。

天然の要害も駆使しつつ。

城の間を流れる深沢川。天然の内堀でしょうか。人工的でない所が凄いよね。

伝大光寺曲輪。放置され感半端ない。

外曲輪の土塁。

馬出。

搦手橋跡。

荒川から眺める長久院跡。中は民家になってるのと険しすぎて観れない。

へとへとになりながら一周を見終わって。伝御殿曲輪と伝御殿下曲輪の間の道路。もとい、土塁。

帰りに県指定名勝 玉淀へ。

荒川から見る鉢形城。

■ 縄張り図。復元模型等

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