■ 別名 -
■ 所在地 東京都八王子市高月町
■ 城郭構造 平山城
■ 天守構造 -
■ 築城主 大石定重
■ 主要城主 大石氏 北条氏照
■ 築城年 大永元年(1521)
■ 廃城年 永禄12年(1569)~元亀3年(1572)頃
■ 遺構 曲輪 土塁 空堀 井戸 馬出 虎口
■ 復元整備 橋 石碑 説明板
■ 指定文化財 国指定史跡
■ 訪城日時 2018.05.01
■ 歴史
1521年(永正18年)山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代大石定重が築城し、高月城から移ったという。1546年(天文15年)、北条氏康が河越の夜戦(河越城の戦い)で扇谷上杉氏を滅ぼし、山内上杉氏の勢力を武蔵から排除すると、大石定久は北条氏康の三男・氏照を娘婿に迎え、事実上、大石氏は北条氏の軍門に下った。1558年(永禄元年)頃、北条氏照は城の大改修を実施した。
1569年(永禄12年)、小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万が滝山城の北側の拝島に陣を敷き、別働隊の小山田信茂隊1千が小仏峠から進入、これに対し北条方は廿里で迎撃したが一蹴され(廿里古戦場)、滝山城三の丸まで攻め込まれ落城寸前にまで追い込まれたが、2千の寡兵で凌いだ。しかしこの戦いは、滝山城の防御体制が不十分であることを痛感させ、八王子城を築城し移転するきっかけとなったといわれている。
なお、近年において齋藤慎一が1561年(永禄4年)春に上杉謙信が小田原城を攻めた際に滝山城下を経由した形跡があるのに合戦が起きていないこと、同年7月に北条氏康が三田氏を攻めた際に滝山城よりも遠い由井城(浄福寺城とみられる)に本営を置いていることなど、滝山城が存在していれば起こり得ない事例を挙げて、同年当時滝山城はまだ存在していないとした。齋藤は、小田原城から由井の北条氏照への棟別銭免除の指示を示した朱印状が出された1563年(永禄6年)4月より北条氏照が滝山城への年貢納入を命じた発給文書が出された1567年(永禄10年)9月までの4年余りの時期に上杉謙信の南下に対抗するために滝山城が築城されたとする説を提示している。
■ 写真 感想等
大手門跡の土塁。天野坂。いきなり期待できるほどの高さ。

土橋跡。


三の丸跡


二の丸跡。







中の丸跡。広い。




中の丸から本丸の土塁を繋ぐ引橋。

桝形虎口跡。


本丸に建つ霞神社。

本丸から望む多摩川。外郭としていたのだろうか。


金毘羅社

霞神社から本丸をみた景色。


本丸にある井戸跡。

弁天池跡。当時は貴重だったんだろうね。五つ目の城巡りの疲れで脳が停止状態。遅い昼食をのんびりと。

土塁下。中の丸と本丸の土塁下から眺める引橋。高い事が解る。

土塁の数々。




信濃屋敷祉

刑部屋敷祉

カゾノ屋敷祉

土塁。

木橋



千畳敷

馬出



小宮曲輪





山の曲輪跡。

山の曲輪から見た景色。多摩川。

縄張図


滝山城は遺構がわんさか残ってるので疲れが吹き飛ぶ瞬間もありましたが。流石に五つ巡るのはキツかった(笑)