なんとか師とか@「語感でアイロニー」#1322

中坊ぐらいの頃、

俺、花火師になりてえ。

とか、ほざいてた気がします。勿論本気だったなら、その世界に飛び込んでたんだろうと思うが。多分、

勉強から逃れたい、学校行きたくねえ、

と言う、甘えからの発言が九割を占めてたんだろうと思うのだが(笑)

ただ、やっぱり、そんなとんちんかんな発言の裏には、どこかに憧れみたいなもんがあったんだと思う。職人の匂いと言うか、その人たちにしか出来ない技術や特殊性。現場に適応しながら、己の才覚や己の身一つをよすがに生きる感じ。

あと、僕自身の性格が集団向きじゃない(笑)皆でわっしょい楽しんでる中にいると、逆に孤独を感じる(笑)その祭りの波長にテンションを合わせると、自分に無理が生じてボロボロになってく感。

そんなこんなで。僕は、今殺陣師なんて肩書で仕事をしてたりする。そう思うとやっぱり、形は違えど、志向の源流はあったんだなあと。

殺陣は、時代劇の華。

だと、個人的に思ってたりする。1時間ないし2時間あるドラマの中のたったの5分ぐらいだとしても。カッコいいというより、物語の局面や感情がクライマックスを迎える時に訪れるもので。これが現代劇だったらさ、ただの「狂気の10人殺し」とかエグイ方向に傾いちゃうんだよね(笑)カツラして、着物着て、「ござる」って言って、セットがあって、「戦国時代」だの「幕末」だのとシチュエーションが付いただけで、観る人が

気分爽快!カッコいい!よく、越後屋を斬ってくれました!

に、変わっちゃうんだから不思議だよねえ。勿論、主人公の苦悩や哀しみなども殺陣を通して表現出来たりもする。

日本で、現代アクション映画が創りづらいのは、日本は平和で、日本人が元々バイオレンスそのものを日常では味わいたくないからで。日本が銃社会だったら、もっとアクションも増えていくんだろうけど。現実離れしすぎちゃうんだよね。僕が小さい頃、大好きで観てた「西部警察」なんて、もう完全なる銃社会という荒唐無稽さで。市中真昼間から、警官と犯人のドンパチや爆破の数々。放水ズバーン。

ここは、日本か?

みたいなね。渡哲也演じる大門刑事なんて、ショットガンだぜ。薬莢が、手前から上に上がるのがカッコよかったんだよね。レイバンのグラサンして。

話がそれた(笑)

花火って、観る側に色々な感情を掻き立ててくれるでしょう。様々な形。色彩。楽しさの他に、美しさゆえの儚さや夏の終わりを予感させる少しの寂しさもくれたりする。その裏で花火師さんは、爆発の危険と隣り合わせで、現場で天候や風と言うライブ感で微妙に変化させていき、一年懸けてきたチャレンジとクリエイティブ。自負と恐怖。そして、観る側を楽しませて、そっと祭りを終える喜びと安堵感。寂しさ。次に向けての反省と意欲。

殺陣師も似たようなもので、誰よりも知識と現場経験があり、所作や身のこなし、武道全般を収め、監督や演出の意向をその場で解釈し、創り上げて演者に渡していく。殺陣師がうんうん現場で悩んでる暇はない。その瞬発力の為に、常日頃から、何かを取り入れ何かを壊し、身体化させておく。様々な演者に殺陣で役の彩りをつけて、その祭り(本当は演者も喜ばせる側)の始まる前に、振り付けと指導を終え、そっと身を引く。死期を悟った野良猫が餌付けしてくれた主人から、すっと居なくなるような感じで業務を終わらせる。皆で、喜びを分かち合うその一歩手前で

す~っとね。

一見ドライな性格に思われるが、実はウエットな人が向いてる気がします。照れ屋なだけかもしれんが(笑)

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