きほん@「語感でアイロニー」#669

殺陣指導なんかをしてると色々と思うこともあり。

教えると言う事は、本当に教わることなんだと。違う角度から気づくことも多いです。

殺陣っちゅうもんは、演技と違い、

色々な考え方がある。

と、言う理屈は問答無用で無いと断言できる。

始めは本当に不自由なもので。型やら所作やら。2、3回やって出来たと思い込んじゃったり、一年ぐらいで飽きちゃったりする人は殺陣には向いて無いですよ、やっぱり。もちろん、目的意識は様々自由ですが。

基本が出来てないと、見栄えはしないもんです。

さて、この基本という厄介なものですが、いつになったら出来るようになるのか。答えは、

無いです(笑)

強いて言えば、何回やっても同じ動きが出来るようになった時とでも言っておきましょうか。どんなにセンスある人でも5年ぐらいはかかるんじゃないでしょうかね。

長いでしょう(笑)まず、そこまで続く人いないですから。なんやかんや言って、殺陣もまた人を選んでるということなんです。世間から見たら

よくもまぁ、続きますね。

と、ある意味ディープなところまで行く人のみが選ばれて行くのでしょう。

とは言え、演劇の壊し屋ヨンパチのドンが、スーツ着て殺陣やってる奴が、何を基本基本とうるさいのか、と。お叱りを受けそうですが(笑)壊すからこそ基本を最も重要としているという事なんですね、これが。

アレンジと癖は全く違う。

基本の型をきちんとやると言う事は、姿かたちを整えるという事から出発したとして、最終的には、頭のテッペンから足のつま先まで意識化するという事の稽古に繋がるわけなんです。要するに

自分の体をもう一人の自分が見つめてる。もしくは、聞いている。

ということになる次第で。ここまで来ると演技に絶対に必要なものとなるんですね。同じシーンの稽古をするとき、一つ前にやった芝居や歩数を覚えてられますか。それが出来る人は全てを意識化してるということなんですね。もちろん、相手がどう動いて、どういうつもりでしゃべったかも覚えてるはずで。前にテレビで水谷豊が、「熱中時代」の自分と「相棒」の自分のものまねをしていて。一見、自分のものまねをやるという掟破り感満載に感じるかもしれないけど。やっぱり、凄い人なんだな、と改めて僕は思いました。

これが、観見二眼

ってやつなんです。殺陣は、ここまでやると演技と密接した関係にあることと、むしろ芝居って面白いなぁと止められなくなり、実人生がとんでもない方向に引っ張られていく次第で(笑)

ところで。

基本を大事にしてる僕でありますが、表現に入ると、相当のタブーをあえてやります。刀を思いっきり背負ったり。すり足をやりつつ思いっきり板鳴らして踏み込んだり。正眼の構えも左肩を思いっきり下げて、右肩上げて、わざと猫背を作ってみたり。受講生に注意するようなことをわざとやってみたりして、自分の形をデフォルメしたりしている(笑)

所作を基本通りやるのも表現なら、僕みたく

発表会やってんじゃねぇんだから。

と、うそぶく表現者もいるってもんで。でも、通常稽古に戻れば、すぐそのわざとやった癖を直せる自信があるからで。昔、ヨンパチメンバーが本番でやった僕のアレンジをたぶん観てたからであろうが、通常稽古に戻ったら、全員僕のアレンジしてる癖を真似してて(笑)

恥ずかしさ8割。嬉しさ2割。嬉しさは、たぶんアレンジした体の使い方がカッコよく見えたから真似してくれてんだとは思ったりしたが、

お前らが、その動きするの百年はえぇ!

と、ダメだしした記憶があります(笑)基本が出来たら、あとは自分次第だけど。基本が覚束ない内にそっちに行くと様になってないばかりか、外行ったらただの癖になっちゃうから。

世の中、色々進化して便利になったり情報も豊富でスピードが速くなってるけど、人間のスピードが速くなって成長してるわけではないから。人間の体はいつでも不自由で思い通りにいかない。

だから、基本が大事。

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