「めら」を久々にテレビで見た。もののけの人。あの存在の記号はハラハラする。突っ込みを入れたい。しかし、突っ込みを入れると「人でなし」宣告を受けそうな平成の世の中。突っ込み負け戦な記号をたくさん持っている「めら」。種類は違うが「ふくし君」も記号を持っている。緊張する。何かが足りてないのに足りてなさが出過ぎてる緊張である。君づけしないと苦しいみたいな。この人たちにすんごい分厚いオブラートでくるんだ突っ込みを入れるなら
大丈夫なのか!
という感じであろうか。
さて、武道の稽古。最近では先生とのガチ稽古が多くなり。嬉しいやら優鬱やら。なんてったってかつての全日本の猛者中の猛者なのである。今でも平気でバットを三本まとめて折る猛者なのである。バットは打つものだというインプットがいとも簡単に覆された瞬間でもある。ぶっちゃけスパーリングのとき死がよぎります(笑)
空気の読める先輩方というのは先生の自主練の時間に空気を消すがごとくすーといなくなるのだ。はっきり言おう。俺も空気読める率は屈指のタイプである。ゆえに指導者なども出来るわけで。ところがである。俺はぎりぎりの所で賢くないのだと思うが、逃げようと思えば逃げれるその瞬間をあえて空気を読まないように居座ってしまうのだ。逃げる自分を最も嫌う性質を具有してるともいう。
俺が習いに行ってる所はある意味非常に実戦的で。突く蹴る投げる決める顔面後頭部金的ありという強烈なところであり。しかも階級がない。先輩方も180センチ90キロなどは普通であり。170センチ57キロの俺はやはり圧倒的に不利であり。ボクシングになぜに階級があり、なぜに皆減量に苦しむかといえばでかい方が有利なんだということです。手足が1センチ違うだけで全然違うのだ。少しでも階級を下げる事が大事で。それゆえに間合いに瞬時に入って瞬時に出るという誰よりも体力とディフェンスのいる戦法と相手の呼吸を読んでのカウンター攻撃を取らねば間違いなく負けてしまうのである。小よく大を制す。殺陣なんかでも横と斜めの動きを大きくしてるのは自分の体を知りぬいてるからだろう。
で、スパーリングやると性格がモロに出るから面白い。一見押せ押せに見える俺は相手の呼吸よんでのカウンターが得意だったりする。これね、やっぱり温厚な性格なんだという事がわかるんだよね。本当に温厚なら、スパーリングなんかしないと思われるけど(笑)
人間裏腹なものです。
今週末に行われる殺陣祭り。一般の方には殺陣の流派だの技術などはわかりにくいだろう。ただ、差が表れるとしたら殺陣である以上肉体的存在感であろう。それが唯一俺がお客様に対する誠意であると思われ。
表現に関しては永遠に生真面目でありたいなぁと思います。
我慢は浪漫。浪漫は我慢。
上手くまとめたところで。おやすみガルル。
