SUGOMI@「語感でアイロニー」#431

こな~ゆき~!

どうも。朝から雪になりそうな本日、テンション上げてかねば心が折れそうな琥太郎です。

昨日は昼間ボルゲーゼ美術館展を観に上野へ行く。絵画などわからないしうんちくなどは語れませんが、この時期に見といて良かったなぁ、と。何か自分のやろうとしてる事と繋がる何かを感じれました。

ルネサンス時代の栄華を極めたある意味飽和状態まで達したものから、そこから更にもう少し上の表現を模索してバロック絵画と呼ばれるものにたどり着く狂気といおうか情熱といおうか、そういう凄みが色使いから構図までに現れていて。

表現の差が垣間見られた。もちろんそれは100年とかそういう積み重ねから生まれたものだとして。俺は、バロック絵画と呼ばれる、額縁からオーラというか凄みが出ちゃってる方が好みで。

夕方からイベントの殺陣の稽古だったんだけど、色々な団体の色々な手法といおうか、カラーがあって。同じ「殺陣」というキーワードで結ばれてるのに切り取る表現の差でこうも違うのかと面白いなぁと素直に思う。

ある意味、殺陣も飽和状態だったのかもしれないね。殺陣道場が俺が始めたころは少なかった。プロレスと言えば、新日か全日みたいなね(笑)

動きは一緒で。

ちょうど、俺の世代ぐらいから殺陣団体が増えてきた。今、各道場で頭ハッテる人たちも誤差なく同世代。もちろん師匠からのれんわけじゃないけど、伝統を受け継ぐ人たちも数多くいて。始めて1,2年で自分たちで創った人たちもいて。5つぐらい下になると俺ら世代から大きく育った技術の優れた連中もでてきて。ま、ある意味戦国時代ですな。

俺自身は5年いたかな。よく言う一つの所で5年というのは、その前に出て他行ったりすると居たところの技術も曖昧で終わってるから、他行くと癖としてみなされちゃう。で、挙句色々めぐって辞めるはめに。目移りするのは悪いことじゃないけど、自分の目的はなんなのかは、曖昧でもいいから持っとくべきでね。

で、俺が居た道場を辞めた理由は、表現者としての確執であろう。師匠の殺陣の伝統を守って殺陣の技術を人前で見せようとする表現の仕方と、俺の、技術は絶対必要だけれど表現として角度を変えた殺陣と、殺陣は華やかなものを持ったものが主役をやるべきという俳優主体の表現の感覚かな。

道場ではかなり異端児だったかもしれないね。師匠の伝統を守ろうとする先輩方ともかなり衝突したし。でも、一番師匠の動きを反復稽古してたのは俺だったり(笑)流派とか派閥という言動を嫌うのはそんな意味。その言葉に甘えてるだけでさ。表現者としての核が無いと言おうか、表現としての殺陣をもっと盛り上げようぜ!みたいなね。俺自身は師匠の名前を出したことはないし派閥も語らない。。辞めたのにその道場や流派を語って大きくなろうという考えは潔くないっつうかさ。時間かかるかもしんないけど、正々堂々とのし上がっていきたい。

俺の人前に立った時の理想は殺陣の技術を魅せることではなく、表現者として自然と出る凄み。映像だろうが舞台だろうが、その額縁からはみ出していたい。

さて、今日も昼間は太鼓チームの方とのコラボ。そして夕方からは殺陣教室。

行ってきます!

1574R-24018

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