つなぎ@「語感でアイロニー」#403

本日は、八王子へ殺陣振付指導。

殺陣師ってその台本や演出意図を読んだり時代背景も計算して振付をするのだが、俺は演出もやるし台本も書くし何よりも俳優もやる。ので、振付を付けてその技術を教えるだけでさくっと帰れないのだ。殺陣教室や養成所はそれに近いけど。一本振付を芝居で関わるとアドバイスを色々としてしまうのだ。俳優の方もやるから、その人の心の流れも見えてしまうからだ。例えばそれは、電車乗るときに、知らない人が電車とホームの間に足がはさまっちゃったら、抱き起そうとするようなもんで。なんの例えだ。

今日もセリフの間に殺陣をやるシーンがあるのだが、本来口挟まなくてもいいんだろうけど。セリフ終わりかけぐらいから動き始めちゃうんだよ。だから、

「止まってしゃべってから、殺陣を始めてみな」

と、アドバイスをする。ヌルく人の間合いに入って、ヌルく殺陣が始まっちゃうと、セリフは立たないわ、殺陣がリアリティを帯びないわ、で。で、速く動けばカッコよく見えるかといえば、そうではなく。止まっていられる事もいうなれば、「殺陣」であり「表現」なのだ。歩く事一つもしかり。振付意外のつなぎの部分が一番おろそかにしちゃいけない所で。殺陣の技術が上手いから表現者ではないのだ。その上なんだね、表現は。

ヌルく中途半端セリフ途中に動き始めて、中途半端に殺陣が始まる秒数と、止まってしゃべってから、殺陣というか斬り合いの初速をマックスにして相手の間合いに飛び込んでも秒数は変わらないのだ。お客さんにお金を頂くということは本来1秒たりとも飽きさせてはいけないことで。

で、今日そんな指導をしたら見違えるように彼らもカッコよく見え始めて。体内リズムがあがるからね、緩急つけると。キラキラするんですよ。

キツいことを平然とやって見せるのが表現者だよ。

もうね、ハンバーグに必要なパン粉と牛乳みたいなもんですよ。つなぎ大事なんですよ。養成所や殺陣教室も教えてるのは殺陣だけなんだけど。「つなぎ」の重要性はよく言うんだけどね。例えば、袈裟斬りから胴斬りなんて、覚えれば誰でもできるんだよ。でも、本当に表現として大事なのは、袈裟斬りと胴斬りの間のつなぎとリズムだったりしてね。誰でもできることやって金とっちゃダメだよ。

ある期間で殺陣が伸びなくなってしまう人は、そこをないがしろにしてしまう人で。技術は誰でもあるところまでは行くんだけど、そこの工夫をどれだけ考えて動いてみるかが一番大事なんだよね。だから型とか色々あるけど、流派なんて言い訳にしか過ぎないわけでさ。工夫をどんだけてめぇで考えるかで。素振り100本やったからいい表現できるわけでもない。

セリフなど誰でも覚えれるのと一緒。行間と次の人のセリフをどれだけ聞いてられるかが演技には一番大事で。セリフをしゃべるのが俳優の仕事のように思えるけど、俺は人のセリフを聞けることが一番の仕事だと思ってる。で、人のセリフを聞ける俳優はたいがいいい雰囲気を醸し出してる俳優さんだと思うし。

だからね、殺陣の技術が俺よりも上手い先輩はたぶん日本にはいると思うんだけど。そんな人が急にセリフしゃべり始めたら、臭い芝居してしまう人が多くいて、イスからズッこけそうになること多いんだけど。

表現者でしょうよ!

俺が表現者として殺陣やるときは、あえて恐ろしいほどテンポが速くて重低音のカッコイイ曲流して、照明もレーザービームで派手にするのには理由があって、その音と光を俺の体から発せられるリズムやビームがそれをも凌駕していたいからで。気違い沙汰と思われるかもしんないけど、そんなもんと勝負したいんです。それで俺が動くリズムでお客さんの体が自然に動いてしまう。そんな表現をしていきたいんだな。

殺陣ができるということはすなわち演技もできるということ。殺陣とセリフのある演技は別物ではない。

俺と一緒にやる俳優達にはそんなことも伝えていきたいなぁと思う。殺陣の技術だけ教えるのがただの伝統になってしまったら、間違いなく殺陣は50年後にはつまらないものになってしまうもん。もうそれは、表現じゃないから。殺陣を通してセリフのある演技に活かせる感覚をどんだけ考えれるか。

明日も養成所指導。

おやすみガルル

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