■ 別名 和田城
■ 所在地 群馬県高崎市高松町
■ 城郭構造 平城
■ 天守構造 独立式層塔型御三階櫓
■ 築城主 井伊直正
■ 主要城主 井伊氏 諏訪氏 松平氏
■ 築城年 慶長2年(1597)
■ 廃城年 明治4年(1871)
■ 遺構 乾櫓 移築門(東門) 土塁 水堀
■ 復元整備 石碑 説明板
■ 指定文化財 県重要文化財(乾櫓)
■ 訪城日時 2019.05.02
■ 歴史
和田氏は関東管領上杉氏に従属した。山内上杉氏が衰え、上杉憲政が越後に遁走すると、その養子となり関東管領を継いだ上杉謙信の配下となった。しかし、鶴ヶ丘八幡宮での忍城主・成田長泰への対応に不信感を抱き、次第に武田に内通するようになる。武田氏の滅亡後は滝川一益、北条氏などに従ったが、天正十八(1590)年の小田原の役で、上杉景勝、前田利家らの北方軍に攻められ落城した。 家康の関東入封後は、井伊直政を箕輪城に置いたが、慶長三(1598)年、井伊氏はより交通の便がいいこの和田の地に移り、和田城を修築して「高崎城」と改めた。井伊氏はわずか三年で近江彦根へ転封、以降は諏訪氏、酒井氏、松平氏、安藤氏らが城主・城代を勤めた。 寛永8年(1632年)、安藤重長のとき、徳川三代将軍・家光の実弟、忠長が駿河から配流、ここ高崎城で蟄居の身となった。三代将軍の座を巡る鬱積から、乱行を繰り返した果ての配流だった。忠長は翌寛永九(1633)年、蟄居先のここ高崎城で自害した。
■ 写真感想等
いやあ。去年のゴールデンウイークに攻めた城を今頃ひっそりとアップします(笑)
三ノ丸のお堀。もうね、高崎市をめぐる程の広さ(笑)
三の丸跡
乾櫓
東門
再びお堀外周の旅。結構歩くね。広い。
石垣水路跡
車橋門跡
天守閣(笑)
こっちね。
防御完璧。利根川。気持ちよかった
縄張図。復元模型。
いやあ。広かった。楽しかったなあ。