■ 別名 常陸府中陣屋 石岡陣屋
■ 所在地 茨城県石岡市総社1-2
■ 城郭構造 平城
■ 築城者 大掾栓国
■ 主要城主 大掾氏 佐竹義尚 六郷政乗 皆川氏 松平氏
■ 築城年 貞和2年(1346)
■ 廃城年 明治4年(1871)
■ 遺構 陣屋門 土塁
■ 復元整備 陣屋門 説明板
■ 指定文化財 石岡市史跡
■ 訪城日時 2017/08.15
■ 歴史
鎌倉時代から安土桃山時代にかけての城郭で、江戸時代には水戸藩の支藩(常陸府中藩)の陣屋が置かれた。往時の府中城は、丘陵の上に築かれ、本丸、二の丸、三の丸や3つの出丸を配置し、幾重にも濠をめぐらした堅固な城郭だった。鎌倉時代初期の1214年(建保2)に、大掾(馬場)資朝がかつて常陸国の国衙が置かれていた場所に別館を築いたのがその始まりとされる。南北朝時代の1346年(貞和2)に、馬場城(水戸城の前身、同県水戸市)を本城とする馬場詮国がこの館を城郭として改修した。1426年(応永33)、馬場城が江戸通房により攻略されたことから、馬場氏は府中城を本城としたが、馬場浄幹の代の1590年(天正18)に佐竹義宣によって攻略され、馬場氏は滅亡。府中城は佐竹氏の城となり佐竹義尚が入城した。しかし、関ヶ原の戦いで佐竹氏は西軍に与したことから、1602年(慶長7)に秋田に国替えとなり、府中城には六郷氏が、次いで皆川氏が入封した。その後、1700年(元禄13)、水戸藩主徳川頼房の五男の松平頼隆が2万石で府中に入封し、以後頼隆の家系が10代続いて、水戸藩の4支藩(讃岐高松・陸奥守山・常陸府中・常陸宍戸)の一つとして明治を迎えた。文政年間(1818~29年)には府中城跡に陣屋が建てられ藩庁となった。
■ 写真 感想等
この日、雨の降る中、二つ目の城攻め。常陸府中城へ 。学校の前にそびえる陣屋門。
土塁跡。
危うく見落とす所だった土塁跡。学校敷地内にあるからね。不審者扱いされないかドキドキするよね(笑)
常陸国府跡。
箱式石棺。飛鳥時代のものらしい。
常陸国総宮。
参道。府中城の空堀跡とも言われてるらしい。
土塁っぽい?
拝殿。
帰り道。やはり城跡近く一段高い所に造られてるんだね。
■ 縄張図等



























