「演技」とか「芸」というものは、人前に立つ演者は8割ぐらいの感覚というか余裕がある方がお客さんは観やすい。もしくは芸達者だなと思うんじゃないかな。その感覚がお客さんには10割に見えるもので。
ただし。人の名前ではない、ただし。
これは12割という感覚をどこかで味わったことのある人に適用されるんじゃないかと思うのだ。自分で線引く限界を越えさせてくれた恩師がいたかいなかったか。もしくは誰が聞いても壮絶すぎて笑っちゃうぐらいの人生経験がある人か。
だって、8割という感覚そのものは10ないし12割の感覚が理解できてる人じゃないとわからないことだから。
ほとんどの方が8割の力が10割の全力だと思い込んでる節がある。いや、むしろ
10割の力で頑張ってます!
みたいな青春ビームが本番で出てきて観劇してると
「ぬお~!な、なんと破廉恥な!」
と思ってしまうのだが。たぶん、稽古場の空気が8割の力が全力だと勘違いしてるとこなんじゃないかと思う。要するに「緩んでる」という感覚と「緩ませてる」という感覚の違いなのだ。
なんつうか、12を8に持ってく感覚と、8が10ないし12だと思い込んでる人の一生懸命誤差は実に4割だぞ。これ、かなりの温度差だぞ(笑)
芝居を演じるというよりも演劇をやってる自分を演じてるんだよな、延々と。そして、永遠に。
ただ、12割の感覚を与えられる人間も演出はちゃんと選んでるもんで。これは、残念ながらしょうがないことで。もっと言うなら売れてるタレントさんだって、その人を売り込むことに何千万とか億がかかるわけで。選ばれたということはその金以上を見せなきゃならんわけで。すごいことだよ。本人はきっと12割のプレッシャーでしょう。
さて、しかしながら12割の感覚を知ってしまった人というのは、その残像が残るゆえに更に自分を13とか14まで追い込もうとする芝居ジャンキーになってしまう。超えたいから。俺が俳優仲間と思える人はこういうジャンキーだけ。
どっちが幸せなのかはわからないけどね(笑)
殺陣に関しては俺自身は8割で「芸」見せますって感覚がどうも恥ずかしいし、まだそういう方向に行きたくない。御大みたいな。「芸」という感覚よりも「斬り合い」という「シチュエーション」を優先して考えるようにしている。やはり「嘘から出た真」が自分に真骨頂であり、その12割の感覚で本番に臨むがゆえにヨンパチの匂いは客が望む10割なんだと思ってる。その見せ方を操作してる自分の感覚はすなわち8割だという図式です。