■ 別名 小峯城 小峰城 小早川城
■ 所在地 神奈川県小田原市城内
■ 城郭構造 平山城
■ 天守構造 層塔型 三重四階
■ 築城主 大森氏 後北条氏 大久保忠世 稲葉正勝
■ 主要城主 大森氏 後北条氏 大久保氏 稲葉氏
■ 廃城年 明治3年(1870)
■ 遺構 石垣 土塁 堀
■ 復元整備 平成2年 住吉橋・住吉橋 平成9年 銅門 平成21年 馬出門
■ 指定文化財 国指定史跡
■ 訪城日時 2016/08.13
■ 歴史
治承4年(1180)源頼朝に属し、平家討伐の功で勢力を伸ばした土肥次郎実平の長男遠平が、小早川氏を名乗り小田原を治めることとなり、居を構え、後方に山城を築いた。約200後の応永23年(1416)ときの関東管領であった足利持氏と組んで、上杉氏憲の乱に功労のあった大森氏が進出し、6代約90年に亘り勢力を張る。明応4年(1495)伊勢国出身で伊豆、韮山で起った風雲児伊勢新九郎こと北条早雲が大森氏を攻め滅ぼす。16世紀初め頃に戦国大名小田原北条氏の居城となり、関東支配の拠点として次第に拡張された。豊臣秀吉の小田原攻めに備えて築造された、城下町を囲む延長9KMにおよぶ総構え(高い土塁と、深い空堀で構築された防御施設)の出現により、城の規模は最大に達した。
北条氏滅亡後徳川家康の家臣大久保氏が城主となると、城は近世城郭の姿に改修される。大久保氏改易後に城は破却されるが、寛永年間に稲葉氏が城主となると再び改修工事が実施され城の姿は一新する。大久保氏が再び城主となるが、元禄16年(1703)に発生した地震により天守はじめ城内の各施設はほぼ倒壊焼失しているが、本丸御殿等を除き再建され、小田原城は関東地方の防御の要衝として幕末まで存続する。明治3年(1870)に小田原城は廃城となり、売却された後、次々と解体され、城址は御用邸時代を経て地元自治体に払い下げられ現在に至っている。原城跡は、本丸・二の丸の大部分と総構の一部が、国の史跡に指定されている。また、本丸を中心に「城址公園」として整備されている。
■ 写真・感想等
石垣山城を見て、漁港で刺身定食を食べて、いざ戦国最大規模の小田原城へ。来るのは二回目。学生時代に原チャリで来た記憶が(笑)
二の丸東堀
二の丸東堀に掛かる学橋。お堀眺めてるの好き。あ。まだまだ見なきゃいけない所多数。
二の丸隅櫓。関東大震災で崩壊し、昭和9年(1934)に再建。
二の丸東堀から見る二の丸隅櫓(右側)と馬出門(左側)
馬出門土橋から見る二の丸隅櫓
馬出門橋から見る馬出門。平成21年再建。確かに前に来た時無かった気がする。
横から馬出門。
馬出門を入り内側から見た馬出門(左側)と内冠木門(右側)
正面から内冠木門。
馬屋曲輪から見る住吉橋と銅門(内仕切門)。平成9年再建。
住吉橋から銅門(内仕切門)正面。
住吉橋から住吉堀と銅門(櫓門)
銅門(内仕切門)を攻め入り、銅門(櫓門)正面。
銅門石垣。平成9年。18年物。石垣が若い。若すぎる。石垣年輪ってあるね(笑)
城内側から見た銅門。
本丸東堀から見た常盤橋。
常磐木門
常磐木門正面。
城内側から見た常盤木門
で、猿。なんでだよ。もう一度言う。なんでだよ。猿と呼ばれた秀吉への皮肉?(笑)
いざ。天守閣。
う~ん。石垣が若い(そればっか)
連休と言う事もあり人が多かったね。
天守閣へ登る。鉄塔の上に午前中に行った石垣山城が突如出来上がる。近いね。いや、これは心理的にビビるね。
んで。この包囲網でしょ。総構9キロの難攻不落の小田原城。そりゃ、降伏するわ。しかも、5代も続けばお坊ちゃん気質は代を追うごとに大きくなる。一代成り上がりの秀吉には到底勝てないよなあ。でも、籠城戦やったらかなり持つと思うのだが。まあ。援軍がない以上籠城は意味ないか。
降りて、天守閣裏の石垣。あれ?こっちの石垣リアル。
ぐるりと一周して、馬屋曲輪南堀へ。
二の丸東堀を望む。
南曲輪。
御茶壺曲輪に残る土塁。
御茶壺曲輪から見た住吉堀と銅門
住吉堀と土塁
箱根口門
幸田門
幸田門土塁
歩き疲れが半端なく。よく解らんが、近くの海へエスケープ。うん?城?・・・。ういろう屋じゃねーか!てか、小田原城よりオーラあんじゃねーか!田舎に城っぽいの建てちゃう成り上がりパターンだろうか(笑)
海。御幸の浜。小田原城から歩いて5分くいらい。仰々しい名前の海水浴場。いやあ。気持ちいい。真鶴半島も見える。
てか、水軍も包囲してたんだよね。小田原合戦。こええわ。
うん?明治天皇がいらしてたのですね。あ。それでこんな名前の浜辺。いやあ。歴史だらけの街ですな。
大手門
取りあえず、今回はここまで。総構9キロの遺構は次回へ。流石難攻不落の小田原城(笑)
縄張り等。

































































