う~む。@「語感でアイロニー」#771

本日も朝から殺陣指導。

いやいやいや。もう12月ですか。はやっ。一年、はやっ。そして、寒い!

さて。

この間、サンジャポかなんかで談志の事を太田が語ってて。談志が

俺の未練は太田に置いてきたいね

と、語ってて。う~ん。なんか、痛みを感じると言うか。深いというか。泣いちゃいました。たけしと太田と三人で飲んだ時の話とかもうダメですわ。涙止まりませんわ。

今の時代。古典落語そのものは歌舞伎を観る感覚に近いのではないかと。その世界を知らない人は思ってるのではなかろうか。

演劇で言うなら、シェークスピア。そのままやる所。アレンジしていくもの。アレンジしてたって元を知らないとアレンジしてる面白さなんてわかりっこないわけで。もはやそれは、一般の人には興味をそそるものではなく、ただ難解で、ちょっとクサさすら感じてしまうもの。

それに近いのかなぁと。教養が強要されると言おうか。

要するに観る側も勉強しないといけないんだよね。そうすれば面白さも倍増するんだけど。テレビに慣れ過ぎたのか。受け身になっちゃってるのか。それが面倒な時代になってきているのもまた事実で。伝統の悲しみ。少しね。ほんの少しね。その痛みがわかる気がするんですよ。

談志はそこにイライラしながら戦っていたのではなかろうか。時代に取り残されつつあるものに、

落語ってすげぇんだぞ、コノヤロー!

と。じゃあ、ぶっ壊してやる。でも、後に続く才能は漫才に流れて行く。談志が好きなたけしとか太田とか。凄まじい頭の回転率と斜に構えた毒舌を持つ優しさと。

たけしや太田は認めている。この才能が落語にいてくれてたら。という気持ちもあったのではなかろうか。

演劇が今抱えてる痛みに近いのかな。

色々考えてしまいますね。面白いものを探してる人間と、たた芝居に出る自分が好きなだけの人間。その比率が・・・・。

この間も立て続けに知り合いが出てるのでアングラ系を観ることになって。まず一般の人なんかあの世界のことをわからなければ、地獄のような時間を過ごすことになるだろう(笑)俺だってわからない。でも、唐さんなんかを観てると、わからなくてもなんか最後涙が出てくるんだよね。圧倒されて。この間観たのは、そこに憧れてるだけの人たちなんだよね。アングラという形をやろうとしちゃってる。アングラが形になっちゃ終わりなんだよね。アングラという言葉が出てくる時点でもう終わりなんだろうけど。野垂れ死に上等という表現者の凄まじいほどの根底と爽やかさを感じない。

殺陣もね。同じような現象が起きてきてるし。形だけを格好付けてる格好悪さ。

言葉を立体化し、身体を立体化する。難しいですね。だから、面白いんですけど。

談志曰く

業を肯定すること。

か。

信念を持って進もう。うん。進もう。

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