どうも。春の陽気に誘われて羽毛布団を干して圧縮して押し入れに仕舞い込み、毛布一枚で寝ていたのですが。さすがに羽毛をもう一度引っ張り出す気にもなれず、毛布の中で丸くというよりも、もはやカブトムシの幼虫が如き、はたまたエビが如き丸さ加減になってたおり、もはや、トラというよりブラックタイガーな琥太郎です。
さて、家のすぐそばにコンビニがあって、かなりの頻度でタバコだのなんだのと使っているのですが。いつもいるバイトの女の子がいます。顔も綺麗だし、接客もマニュアルどうりきちんとやってる人なんですが。いかんせん、最後に客に渡す品物の渡し方がとても雑といおうか、店員寄りの方に品物を置いとくだけなんですね。たまたまなのかと思ったら、毎回それで。他のお客さんにもそうで。最後の取りやすいように渡してあげてからの、「ありがとうございます」なんじゃなかろうかといつも思うのです。たぶん、マニュアルどうり挨拶やら接客もしているのだろうけど、そのマニュアルから物の本質が理解できないんだろうなぁと思う次第で。
こういう人多いなぁ。言われた事はきちんとやるのだけれど、その意味まで理解して生かそうとしない人。
物事の原理というものはどれとっても一緒な気がするんです。芝居もまたしかり。日本の芝居に蔓延してる独りよがり演技。よく耳を研ぎ澄ますとわかるんだけど、セリフの語尾が自分に向いちゃうというか飲み込むというか、会話してる語尾の出し方じゃないんですね。語尾を注意しろとうちの本公演でやる方にはよく言うんだけど。次にしゃべる人がしゃべりやすいように渡してあげる。どう置くかどう投げるか。繊細なんだよね、日本語の語尾って。
自分の役の気持ち作って順番でしゃべるだけ。すなわちそれはマニュアルどうりで、表現には達していない。相手役の気持ち動かさなければ、お客さんの心にも届くわけなかろう。
コンビニの店員のことでもわかるようにセリフの語尾も品物も一緒なんです。自分寄りに適当に置かれると嫌な気分じゃない。演技の基本もマニュアルを勉強することも大事なんだろうけど、こういう些細なことから本質を学んでく事の方がもっと大事で。全ては日常から。
殺陣も一緒なんだよね。切っ先や体の置き方や間で相手がやりやすいかどうか。相手の線を崩さずにその人の欲しいタイミングで打ち込めるか。本質的な技術なんです。袈裟斬りが出来たから技術ではなくて、それをどう生かすか。声を出せと言われた時に、言われたから声を出します的なマニュアル的な声の出し方と、なんの為に声出すのか考えて、キッカケでもあるんだけど、同時にシーンを創る以上、斬りにいく声なのかどうか。
こういう事の積み重ねで、人生すごい差になってしまう気がする。マニュアル的な考え方って恐いなぁといつも思う。マニュアルを考えた人は本質を理解してわかりやすく的確に伝える事の出来る人。学ぶ人もその本質を見抜きながら、またそれを創るべきで。そうして新しいものが創りだされるわけで。
でないと何事も続かない。原因はそこにあるんだな、実は。上っ面で終わっちゃう。想定外の事に対応できなくなっちゃう。
全ては扱う者の資質なり。