■ 別名 亀城
■ 所在地 茨城県土浦市中央1-13
■ 城郭構造 平城
■ 天守構造 -
■ 築城主 若泉三郎
■ 主要城主 若泉氏 小田氏 松平氏 西尾氏 土屋氏
■ 築城年 永享年間(1429-1441)
■ 廃城年 明治6年(1873)
■ 遺構 太鼓櫓門 曲輪 土塁 堀
■ 復元整備 東櫓 西櫓 石碑 説明板
■ 指定文化財 茨城県史跡
■ 訪城日時 2017/08.15
■ 歴史
土浦城は平安時代末期の天慶年間(938~946)に関東で乱を起こした平将門が砦を築いたのが起源と伝えられているが、史実の程は定かではない。史実としては、室町時代中期の永享年間(1429~1441)、鎌倉時代以来の常陸守護職として勢威を振るってきた小田氏の家臣で、関東八将として名をはせた今泉三郎が築城。今泉三郎の孫今泉五郎左衛門は永正3年(1506)、謀略による領民の反乱によって討死し、同じく小田氏の武将であった菅谷勝貞が土浦城主霞門となった。
菅谷氏は主君の小田氏を助けて、坂東一の名族と称された佐竹氏と度々戦火を交えたが、天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原征伐の際、北条氏と結んだため、佐竹氏や徳川家康の軍勢に攻められ、時の土浦城主菅谷範政は城を明け渡した。
秀吉によって徳川家康が関東に移されると、土浦城には家康の次男結城秀康が入城したが、慶長5年(1600)関ヶ原の合戦で勝利した家康は、北陸の押さえとして結城秀康を越前69万石の太守に任じた。
代わって下総布川から松平(松井)信一が3万5千石で入封するが、元和3年(1617)信一の養子松平信吉が上野高崎に移封され、その後、西尾氏、朽木氏と城主は替わり、寛文9年(1669)老中土屋数直が4万5千石で入封。
土屋数直の子政直は天和2年(1682)駿河田中城に移ったが、貞享4年(1687)再び土浦城主に返り咲き、土浦城は土屋氏11代で明治維新を迎える。
■ 写真 感想等
雨が降りしきる中、登山用の雨具に身を纏い、この日三つ目の城攻め。疲れが出始める中、お堀が見えて一気に興奮。アドレナリン全開。土浦城案内図。あ。続100名城なるものが出来て、土浦城も「続」だそうです。♪櫓やお堀あるもんね~。子供か、オレ。
いきなりのお堀。
聖徳太子堂。
旧前川口門。
土塁。外丸跡。
外堀。ぐおお。テンション上がるぜ。
二の丸へ。
二の丸から見た内堀。
そして。櫓門。本丸にある櫓門としては、関東地方では唯一現存するものらしい。二の丸側から。
本丸側から。
西櫓。
東櫓。
本丸土塀。
東櫓から見た本丸。意外と狭い城ですね。
薬医門である霞門。太鼓櫓同様に火災を免れた現存の門だそうです。
すぐ横に東櫓。
二の丸から見た内堀。
東櫓と土塀。木が邪魔(笑)
半周して二の丸から見た西櫓。
櫓門の礎石。
外堀。二の丸一周。
■ 縄張り図 復元模型等。
たまらんね。バシバシ載せちゃうけど、スクロールして下さい。復元模型を見て想像するの好き(笑)
亀城の別名の意味が解るね。亀っぽい(笑)
帰りに近くにある霞ケ浦へ。海?ねえ、海なの?広い。ただただ広い。てか、少し怖い。











































































