■ 別名 初雁城 河越城 霧隠城
■ 所在地 埼玉県川越市郭町2-13-1
■ 城郭構造 平城
■ 築城主 太田道真 太田道灌 松平信綱
■ 主要城主 上杉(扇谷)氏 酒井氏 堀田氏 松平氏 柳沢氏 秋元氏
■ 築城年 長禄元年(1457)慶安四年(1651)
■ 廃城年 明治三年(1870)頃
■ 遺構 本丸御殿 郭 土塁 水堀 空堀
■ 復元整備 平成20年~23年 本丸御殿保存修理工事 中ノ門堀跡整備
■ 指定文化財 埼玉県指定史跡
■ 訪城日時 2017/03.20
■ 歴史
長禄元年(1457)、古河公方足利成氏と抗争を展開していた扇谷上杉持朝が太田道灌に命じて川越城を築かせたという。川越城の他にも江戸城や岩付城など多くの名城を築いた名築城家としても知られた道灌であるが、父道真や主家上杉氏の事跡も後世に道灌の手によるとされてしまったものも多いようで、川越城も扇谷上杉氏によって築かれたという説も有力視されている。いずれにしても当時の川越城は現在の本丸と二の丸を合わせた程度の規模だったらしい。
太田道灌を謀殺した代償は大きく上杉氏は次第に衰退し、小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏は、天文6年(1537)に河越城を攻め落とした。川越城には猛将北条綱成が城代として入るが、天文15年(1546)、それまで抗争を続けていた扇谷と山内の両上杉氏は和睦し、古河公方足利晴氏とも連合し川越城の奪還を企てた。また今川義元、武田信玄と連携し駿河と武蔵でほぼ同時に後北条氏に対する軍事行動に出ることで圧迫を強めた。8万とされる上杉・足利連合の大軍に対し、わずかな兵力で城を守っていた北条綱成と8千の兵を率いて援軍に駆けつけた北条氏康は、勝利を確信していた連合軍を巧みな戦略をもって打ち破った。扇谷上杉氏は滅亡、山内上杉氏はのちに長尾景虎のもとに逃亡することになった。これが世に名高い日本三大夜戦の一つ、河越夜戦である。後北条氏が旧勢力を駆逐し、関東に覇を唱えるきっかけとなった戦いであった。
天正18年(1590)の小田原攻めでは豊臣軍の前田利家に攻められて落城した。徳川家康が関東に入部した際には酒井重忠が城主となり、その後も江戸時代を通じて江戸城の出城の役割を担う城郭として松平信綱や柳沢吉保といった幕閣の中枢を務めた大名が城主に名を連ねており、幕末まで譜代大名が置かれていた。
寛永16年(1639)、川越城主となった松平信綱は川越城の拡張整備を行う。その結果、本丸・二ノ丸・三ノ丸・追手曲輪・新曲輪などの各曲輪、3つの櫓(幕末の絵図にはもう一つ隅櫓城の建物が描かれている)、13の門からなる、総面積約9万9千坪(約32万6千㎡)余の規模をもつ巨大な城郭となった。
慶応3年(1867)、大政奉還により武家政治が終焉を迎えると、川越城は早々の解体が始まり、一部は学校や役所等の公共用地となったが、城地の大部分は払い下げられ、宅地化されていった。現在では本丸御殿の一部と、富士見櫓跡・中ノ門堀跡がわずかに往時の姿を留めている。
■ 写真 感想等
祝日に小江戸と呼ばれる百名城の一つ川越城へ。スタンプ押してきたよお(俺は子供か)意外と近いね。祝日ともあって、蔵造り通りはもう原宿竹下通り状態(笑)クレープがイモのスイーツに変わっただけだな、これは。
川越名物時の鐘。大老酒井忠勝が川越藩主だった頃に建設されたんだって。そういや、前に来たことあるなと思ったら撮影で来てたんだったよ。車で来たから思い出せなかった(笑)
蔵造りの家々。タイムスリップしたかのよう・・・と、言いたいところだが。車!渋滞!趣がああああ!モロ、現代!
札の辻を曲がると急に静かに。城に行く人少ないね。市役所の前に大手門跡と太田道灌の像。
太田道灌って細身なんだね。なんか、武田信玄的な風貌想像してた(笑)
道の途中に中ノ門堀跡。
大手門跡から本丸御殿まで結構歩いた。かなり広かったんだろうね。本丸門跡。
本丸御殿。でけーのな。1848年に建てられたそうで。建築当時は16棟。1025坪の規模を誇ってたそうだ。流石、江戸までの押さえの地。川越城。
入場料100円。安い!家老詰所。
庭。ちなみに、横に写ってる高校は、ウオーターボーイズで有名になった川越高校だそうだ(笑)
家老・・・。一瞬ぎょっとしたが、人形達でした(笑)
中を見学してると、急に職業病が。殺陣の振り付けが次々浮かんできて(笑)いやあ、やりてーなあ。手が勝手に動いてたのか、結構の人たちにチラ見されて赤面な俺。でも。もう一度言う。ここで、殺陣やりたい!そんな思いに引きずられ本丸御殿を後にして。本丸跡地に建てられた三芳野神社へ。土塁だと思う。
童謡「とうりゃんせ」発祥の地だそうです。てか、ずっと、とうりゃんせとうりゃんせの音楽がループされてて。ちょっと怖いよ!
ここも、土塁だと思う。
少し歩き小高い丘があるところに富士見櫓跡。天守代わりだったそうです。
跡地。富士山は見えません。ただ、工事してる人達がいたから、復元整備されるのかもね。そうだったら嬉しいな。
二の丸跡地にある博物館へ。200円なり。歴史が多数。見ごたえあるよ。復元模型。
やっぱ広いね。いやあワクワクするね。
縄張り等。
川越城は江戸幕府が重要視した要地であったため、明治新政府により旧権力の象徴として徹底的に破壊されたそうだ。また戦後は都心からの通勤圏として開発が続けられたため、城の遺構は失われ、本丸周辺の御殿の一部や富士見櫓の土塁を除けば、ほとんどその痕跡を残していない。そのため、現地を散策しても全体像をつかむのは難しくなっている。石垣を使用しない土の城だったこともその一因だったようだ。
それでも残された遺構は江戸城の守りとしての格式を十分に伝えるものであり、天守に相当した富士見櫓の壮大な土塁は見事だ。埼玉県下では唯一の本丸御殿の一部が現存しているのも嬉しいね。浄水場の東側には外郭の水堀の痕跡が残り、童謡『通りゃんせ』発祥の地とされる三芳野神社にも土塁が残っている。城跡そのものは大部分破壊されているが、周辺は蔵造りの街並など見所も多く小江戸と呼ばれて繁盛した城下町の雰囲気をよく伝えていると思う。今度は平日に空いてる日があれば、ゆっくり街並みを散策したいな。
楽しいな、城巡り。






































