6thGIG 滝の城【埼玉県所沢市】@「語感でアイロニー」#1495

■ 別名     本郷城
■ 所在地    埼玉県所沢市城
■ 城郭構造   平山城
■ 築城主    大石重定
■ 主要城主   大石氏
■ 廃城年    天正18年(1590)?
■ 遺構     郭 土塁 空堀
■ 復元整備   石碑 説明板
■ 指定文化財  埼玉県指定史跡
■ 訪城日時   2017/01.02

■ 歴史

山内上杉氏の家臣であった大石氏が築城した。大石氏は当時、武蔵国(埼玉県)の多摩・入間・高麗郡を支配していた。天文15年(1546)、14代遠江守定久のとき、主君の上杉憲政が4月20日の河越夜戦で、小田原の北条氏康との戦いに敗れたので、定久は降伏し氏康の二男である氏照を養子に迎え家督を譲り、氏照は滝山城から八王子城に本城を移す中、栃木(野州)への前衛の支城になっていたようだ。現在の遺構は戦国時代のものであり、鋭角的な堀や多用された横矢などに後北条氏の支城として使用された築城形態を色濃く残している。滝の城の南を流れる柳瀬川の対岸には北条氏照によって清戸番所が置かれ、氏照配下の三田氏らが交替で守っていた。氏照は清戸番衆に対し「この地は大切な場所である。遅参する者あらば全員切腹」という厳命を下している。永禄7年~天正5年(1564~1577)、氏照の下野国(栃木県)出兵時には陣揃えが行われたという。天正15年(1587)、氏照が八王子城に移ると、八王子と北関東を結ぶ重要な連絡拠点となる。天正18年(1590)、豊臣秀吉の小田原攻めで落城し、徳川家康の領土となり廃城となった。北側に外堀、東北に大手、東側に城の名にゆかりの滝、西北に搦手と規模は小さいが要害堅固な城郭をなしていた。

■ 感想 写真等

正月に帰省した際、正月太りを解消すべく行ってきました(笑)何を隠そう、小学6年間春の遠足で毎年行ってた所です。ふと、

そういえばあの公園、城山公園って呼ばれてたよなあ

と、思い出し。調べてみたら、案の定城跡でして。

き、気づかなかった・・・。城好きの小学生だったのに(笑)

まあ。天守閣あっての城だと思い込んでた、可愛いレベルの小学生だと思って頂ければ、と。しかも、下の公園でお弁当食べて遊んでただけだし、と。言い訳しながら。しかし、北条氏の支城だったとは(笑)自転車で懐かしい景色を眺めながら、

変わってねえなあ。やっぱ、田舎だなあ。あれ、川越街道じゃん。

とか、思いながら。いざ、滝の城へ。

血の出る松跡・・・。怖くね。すげー怖くね。

二重堀跡。凄い残ってるじゃん。くっくりと。期待してなかったんだけど(失礼)いやあ。テンション上がる。

幟が新撰組っぽい。

案内板にある縄張り図。有難い。

二の丸。

二重橋堀から見た二の丸の空堀と土塁。結構深いね。

二の丸から見た門出の空堀と土塁。

本丸跡。

本丸に建てられた城山神社。

本丸から望む市街地。意外に高い。

四脚門跡。

本丸空堀。土塁。

本丸虎口。

結構、急なのね。

馬出跡。

三の丸跡。

三の丸にある井戸跡。

門跡。

門跡から見た、馬出と二の丸の土塁と空堀。

物見櫓跡。

三の丸土塁。

二つ目の物見櫓跡。

帯曲輪。

東曲輪。

下まで降りてきて眺める土塁。

城の由来にもなってる滝跡。この辺りは、懐かしい(笑)遠足で駆け回ってた。嗚呼。遠くなりし日よ。

出た!池。この周りでお弁当食べたなあ。

柳瀬川。綺麗になったね。昔はドブ川だったのに。守りの天然の要塞としてたのね。すぐ渡れちゃう気がするけど。

公園入り口からの滝の城。

案内図

模型図だそうです。解りやすいね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

水田跡(滝の城址公園)、本丸跡(25mの断崖上)、本丸を囲むように二の丸・三の丸・物見櫓跡、土塁や空掘が残る。柳瀬川に臨む段丘を利用して築かれた城郭で、北側に外郭を形成する堀と土塁が存在していたが、宅地開発により一部しか残っていないそうだ。城山神社への入口が二の郭跡となっていて、そこまでの道沿いに二重堀の遺構がはっきりと確認できる。三の郭跡や二重堀が見事にその姿を現しており、滝の城の遺構の素晴らしさが浮き彫りとなってきたみたいね。郭の周囲には今も深い空堀が縦横に巡らされており、中世城郭の巧妙な縄張を存分に堪能できるよ。

いやあ。軽いハイキングも兼ねて。こんなに遺構が残ってるとは思いもせず。三十年以上前に来た遠足の事も思い出し、いい城巡りでした。

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です