高倉健さん。お亡くなりになられましたね。ニュースで知った瞬間、余りの衝撃にしばらく呆然としてしまいました。僕のブログでも何度も書いたように大ファンでありました。好きな俳優さんは何人かいますが、人間力も含めた俳優さんとして別格でした。
映画出演本数205本。世間から「健さん」の愛称で親しまれた昭和最後の銀幕スター。来るべき日が来てしまいましたね。任侠物時代の番傘片手に着流し姿。背中で語る男の美学。カッコよかったよねえ。正にスタア。スクリーン越しに見る姿は男が惚れる男なのでありますが、健さんは古き良き男のイメージがありながら、女性や年下に威張り散らすような昭和のスターに感じるイメージがない男の中の男なんですよねえ。ジェントルマンなんですよ。僕の中では。人としての佇まいの美しさ、気高さ、分け隔てなく人に接してるであろう器。
僕が一番好きな健さんの姿は、実はお辞儀をしてる時なんです。ああいう大人になりてえなあ、と。お辞儀の佇まいが美しい日本人が今どれだけいるのでしょうか。あれだけで、日本人のわびさびや美しさを表現できる人はいないですよ。
古き良きなんて言葉では言い表せないな。スクリーン越しの輝きを保つために色々なものを犠牲にしてこられてであろう労力。ゆえの映画俳優と言う肩書。今の時代の発想である、普通でいいんだ、自然に生きたいんだ、等身大の生き方がしたいんだ、と言う甘えや妥協を一切自分に課してない生き方。貫き方。
どんだけ演技をしても、その人の生き方が客にバレてしまう。
俳優とはそういう厳しいものだと健さんの佇まいから学びました。演技面でも健さんから色々と学びました。この世界に入って僕の中でずっと違和感があったこと。それは、しゃべることに夢中になり役の気持ちのみを押し付けてくるのが演技と言う違和感に、演技とは、聞く事、感じることと言う事が間違ってないんだと教えてくれたのも、スクリーン越しの健さんでした。ライブで生きてる映画俳優に。セリフをしゃべるではなく、身体そのものが軋みをあげながらしゃべり続けて佇むことが出来る稀有な俳優さんに。
何よりドーランを塗られて俳優になった時、男じゃなくなった、と楽屋でしばらく号泣したというエピソードが、恥じらいを知ってる稀有な俳優さんだと稚拙ながら思った次第で。
こうやって、ブログを書いてて、なぜ健さんの死を知って呆然となったのかが、今なんとなく解ってきました。当たり前なんだけど、僕が生まれる前からスタアで。僕がこの世界に入ってからも孤高の映画俳優で。その安心感が喪失してしまった衝撃なんだなあと。そして、時代はますます軽くて薄くなってく喪失感なんだなあと。暗くて弱くて強くて正しい一匹狼が敬遠される時代がくるであろう恐怖感なんだなあと。
何をやったかではなく
何のためにやってるかである。
今それが大切に思えてきている。
なんか、泣けてきたよ。健さん。最後の出演作「あなたへ」を映画館で観れて良かったよ。
最後の最後まで映画スタアでしたね。癌であることすら公表せず、貫き通した高倉健と言う哲学。そして、誰より人に心配させたくないと思ったであろう気遣いの達人。
往く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし
ご冥福をお祈りいたします。