ツイッターにも呟いてしまいましたが、
夏の夕暮れ時に聴いてしまう吉田拓郎率の高さたるや。
「洛陽」「流星」「唇をかみしめて」
どこか、漂ってしまう資質を持った業のようなもの。寅さんを観てる人には、お分かりだと思いますが。よく、旅一座の役者とすれ違うシーンが何度かあって。
あれね、漂泊してしまう民同士なんですよね。根っこが同じなんですね。
役者の業
をあれだけで表現していて。すげーな、山田監督。と、思ってしまうわけです。
日々に流される者
と
流れてくことを覚悟した者
では、全然違うんだと思うのです。表現をやってる者にこの感覚が失われすぎてるんじゃないかと思う日々であります。意見なんか違ってもいいんです。ただ、根っこの業の部分で共鳴できないと先には進めない。
だから。孤立を恐れず、漂う。